今年は娘も結婚しましたので、これからはまた好きな事をやって行こうと思います。
26歳で結核に罹り半年入院。30歳の時バイク事故で脛と手の小指骨折1カ月入院。カンボジアではマラリヤ、デング熱、帯状疱疹等色々な病気をして来ました。
先月は良性バクテリア?の為下痢をして5日間絶食。今はすっかり良くなりました。
こうやって元気に古希を迎えられるとは考えていませんでした。
元気になったら欲が出てこれからまた10年カンボジアで頑張ろうと、大きな夢に挑戦する事にしました。
カンボジアが初めて総選挙を実施してから今回で丸20年になります。
従いまして今回の総選挙はウンタクの選挙支援から5回目の選挙になりました。
大きな混乱も無く選挙が終わりましたが、今回はこれまで野党であった党が接戦して、問題有りと唱え、未だに明確な当選者の発表が行われていません。
しかし、1回目の様な争いは起きないものと信じています。
カンボジアでも時代の移り変わりが感じられるこの頃です。
1994年に前田建設本社にお願いして現地法人を創らせてもらいましたが、経営者の内輪もめで折角出来上がった会社を解体することになり、此のたび全機材を私共の会社が買い取りました。自分で設立して自分で壊してしまう情けなさ。辛いですね。
1993年に無償工事の為に持ち込んだ機材を、他人に売り払う事に納得できなかったからです。勿論資金はありません。借金で買い取りました。これらの機材を使って再度カンボジアの為になる会社を造り上げたいと考えました。トシも考えず、夢を追いたくて挑戦する事にしました。私が理想とする建設会社です。それは設計施工が自らの手で出来る会社です。
解体開始 設計施工した工場を20年足らずで自ら潰した哀れな男 種から育てた樹木も全て思い出となってしまった |
憩いの池から大きな魚が沢山獲れた 憩いの池も哀れ |
20年前タイから持ち込んだ自称桜の種が今はカンボジア中で見られるようになった 1994年に持ち込んだ重機整備が良く今も使える 1994年の国道工事で持ち込んだ重機械 |
ガントリークレーン現地で設計製造したが、信じてもらえず会計監査で咎められたいわくつき プレストレス電柱、杭をカンボジアで初めて設計、製造した 憩いの池 |
現在私共の会社では、砂糖工場、キャッサバ工場、パームオイル工場など大型の投資案件を請け負っています。これら大型設備の設計者はタイのコンサルタントです。
機械類も殆どがタイ製か中国製です。
私が33年前、初めてドンムアン空港(古い空港)工事に従事した時、設計、施工業者は外国企業でした。イタルタイというイタリアとの合弁企業が現地では一番大きかった会社です。それが今では設計から、機械設備の製造、取り付けを名前も知られていない様なタイ企業がやっています。
現在施工している砂糖工場や、キャッサバ工場でカンボジアの企業は私共の会社だけです。単なる地元企業社ではなく(下請け業者ではなく)、より良い品質で安くなる方法を提案出来る会社を目指しています。近い将来カンボジアの会社でこれらのプラントを設計、施工できるようにしたい!これが私の夢です。
タイの業者が約10年で独立して彼らなりの設計、施工業者となりましたので、カンボジアでも必ず10年以内にはプラントの設計施工が出来ると確信しています。
そこで私はトシも考えずに此の夢に挑戦したい!と考えた次第です。
ジオパークはようやく幾らか木陰が出来るようになりました。
補習校生に植えてもらった木も大きくなって来ました。
タベブイヤ(通称桜)や、火炎樹、ゴールデンシャワーなど花が咲くようになって来ました。マンゴーも実を付け始めました。今はドラゴンフルーツの収穫時です。
8月25日には日本人会恒例のBBQ大会と料理教室が開かれました。
入り口からの道路沿いには買い取った建設材料が山積みになっているため、何処かの倉庫と間違われてしまった事もあります。材料は年内に片付ける予定です。
乾季には水やりに追われ、雨季には草刈りに追われる毎日です。
感動を与えたいと思ったラン園は毎日草取りに追われています。草の成長が早くランはなかなか感動するところまでになりません。
今後の運営をどうするか、いつ正式オープンするか、悩みは絶えませんがお陰様で木は毎日大きくなってきています。
加茂シェフによる料理教室とBBQ大会 |
多目的ホールで料理教室 |
オーバイコムライオンズクラブも活動を継続しています。
今年からモンドルキリからストントレン州の師範学校で勉強している生徒と、看護学校で勉強している生徒に奨学金と、英語の教師を付けて英語の勉強を合せて支援開始しました。
モンドルキリでの英語教室とコンピューター教室は継続しています。
少数民族は相変わらず山頂に住んで(蚊や洪水から逃れるため山頂付近に住んでいる)水不足に悩まされています。学校は有りますがあまりにも遠くて通えない子供が多く居ます。
彼らが教育を受けられて、安全な水と電気が得られるのはいつになるか想像もつきません。しかし明るい笑顔にはこちらが癒されます。
センモノロムの道路で咲き始めたタベブイヤの」木 どこもここも自然発火した山火事後 共同井戸?湧き出てくる水を待ちながら水汲み |
少数民族の子供が水汲みに来ていた 日本からのビワの木 樹海が見られる山頂付近の子供達 |
40度以上の温水が湧きでている |
古い地形図にも有る温泉.国道44号線から60km |
東京ディズニーランド駅 翻訳本のカバーに使用 |
ついでにカンボジアから国費留学生と歓談 何故通路にゴザも敷かずに座って飲食しているのか?(パレード待ちの為,尚場所取り用のゴザは禁止) |
プレイベン州のプレイスラレ小学校の新校舎も完成しました。旧校舎の壁もレンガがむき出しでしたがモルタルを塗って、ペンキで仕上げました。国際ライオンズクラブと千葉ライオンズクラブの御支援の賜物です。前年に紹介しました今にも壊れそうな校舎が綺麗になり、現在既に使用開始しています。10月13日に正式に引き渡し式をする予定です。
プレイベン小学校で植樹会 プレイベン小学校中間検査 完成した小学校 |
新しい机 旧校舎の壁も塗り替え予定 |
プノンペン市内の発展ぶりを定点観測しています。
毎年大きく変わって来ているのが手に取るように分かります。
現在タワークレーンがあちこちで見られます。
アメリカ大使館、ワットプノム周辺 セントラルマーケットから南側 バンコ埋立地周辺 メコン河とトンレサップ河の合流点に建設中のホテル |
モニボンロード沿い ロシア通りからカナディアン銀行と工事中のワタナック銀行 工事中のワタナク銀行から日本橋周辺 閣僚評議会とプノンペン駅周辺 |
プノンペン新河川港が稼働開始しました。
日本の無償工事で完成した旧プノンペン港は今後どう利用するのか、明確な発表はなされて居ません。河床が浅く、コンテナーのストックヤードが取れないなどの理由かと思われますが、建設後20年近く経ちますとあちこち不具合が出てくるのは仕方が無い事でしょう。新港は勿論河川港ですからベトナムの海までは毎年浚渫などが必要になって来ます。浚渫土を再利用するなどして、浚渫コストを下げる努力は当然なされる事でしょう。
新港は設備も整っています。今後の経済発展が楽しみです。
クレーン船で荷降ろし クローラークレーン(80T) どういう訳かクレーン船で荷降ろし ホイールタイプコンテナ専用クレーン3台 |
新設港湾事務所 最新式荷降ろし機が3台 船から荷降ろし後トレ―ラーに積み込み機3台 |
ネアックルン橋9月7日現在 ベトナム側の柱 メコン川右岸取り付け部 メコン川国道一号線(南部回廊)橋梁工事 |
入り船で船(車が前を向いて居るのが出船) 吊り橋の主塔(9月7日撮影) 河の中央に立つ主塔(フェリーから撮影) |
中国橋工事中 中国橋工事中(上流から) |
既設日本橋に並行して中国橋工事中 日本橋のモニュメント |
シムレアップの模範小学校
ワットボー小学校(Wat Bo primary school)はカンボジアのモデル校です。
生徒は通学には靴、制服です。私服は禁止。
写真の通り構内は清潔で、靴も靴箱に整頓されて居ました。
ここで日本人教師が教えていたというブラスバンドの歓迎を受けました。
指揮者、演奏者皆小学生でびっくりした次第です。
こんな小学校がどうして全国に広まらないのでしょうかね。
制服の費用は勿論生徒負担だそうです。
シムレアップの小学校 小学校の靴箱 |
日本人先生が教えた音楽部 |
シムレアップアンコールワットライオンズクラブが出来て1年が経ちました。
植樹や医療器具の配布など活躍しています。
日本のライオンズメンバーはある程度年齢で、生活にもゆとりが有る方々の様ですが、ここカンボジアのメンバーは若く、自らの資金での活動は出来ませんが、汗をかく事は出来ます。ボランティア―はお金だけでなく其々が出来る支援をする会です。
国籍は問いません。興味のある方は是非参加して下さい。
シムレアップアンコールワットLC.定例会議 シムレアップの師範学校へ苗木贈呈 |
シムレアップ小学校長先生ジオパーク見学 シムレアップ小学校長先生と瞑想センターで懇談 |
古希を迎えた私の故郷の同級生が訪ねて来てくれました。
天草の小学校、中学校で暮らした仲です。
また熊本工業高校の同級生も訪ねて来てくれました。天草5橋が完成する前でしたので、本渡港から船で三角へ行き、機関車(石炭車)に乗って熊本へ・・・一日がかりの道程でした。今は熊本空港から天草空港へ30分足らず、(福岡空港からも30分)時代が変わってしまいました。
其々に思いを抱き勉強した仲間が今はもう孫が大きくなって居る人もいました。
時の流れは早いものですが、一緒に過ごした青春はいつまで経っても同じだなーとつくづく感じ入ったひと時でした。会った直ぐは誰だったキャーと言いながら、話しているうちに若いころの面影を思い出し懐かしく語り合いました。
小学校の同級生 象さんに揺られて見物 |
ジオパークの丘から |
50年前は若かったが・・・ アンコールワットの森で記念植樹 |
コンな木の根っこにびっくり 逞しく生きる?と考えるか、手入れが悪いと考えるか? |
日本人会の運動会、毎年行っています。
プノンペンに住んでいますと、芝生の上で走り回る事が出来ないので、此の運動会は生徒、保護者を含めた在留邦人の運動会でもあり、親睦の場でもあります。
残念ながら自前の運動場が無いので、メコン大学の運動場を借りて行っています。
いつか自前の運動場が出来ると良いですね。
玉入れ大会自前の運動場が欲しいねー |
ひと時楽しく歓談 |