2016年ジオパークからのご報告

2016.12.14

主催者からのお知らせ

一年経つのが早いですね。もう今年も間もなく終わり、私の人生も残り少なくなってきて焦っています。今まで何をやって来たのか、わが人生の歴史に残るようなことをしてきたのか、何か物として残したのかと毎日反省している所です。ジオパークもまだどこに引き渡すか決めていません。できればどこかの学校へ寄付したいと考えています。公園の木々も既に大きくなり、小山からの眺めも出来なくなりました。周囲の家並みも全く見えません。

たまの休みに一人瞑想センターで静かに読書するのも良いものです。
または公園内を静かに小鳥の鳴き声を聞きながら歩くのも良いものです。

いつまでも一人占めにしている訳にはいきませんので、そろそろ引き渡し先を探そうと思っています。

プノンペン市内も大きく変わってきました。毎年撮っている写真をご覧ください。高いビルが増えているでしょう。まだまだ建設中のビルが目白押しです。グリーンネットで囲った建物は工事中です。殆どが中国資本で中国の建設業者が施工しています。日本、韓国の建設現場もありますが、僅かです。これだけのコンドミニアムをだれが買って、だれが住むのだろうか、と不思議でなりません。コストの計算をしているのだろうかと心配になります。または今後10年以内にプノンペンは中国人街になってしまうのではないかと心配です。しかし中国人は何で生計を立てるのだろうか、私が心配することではないと思いますが、それだけ中国企業の進出が激しいということです。

去年は中止になったボートレースが今年は行われました。270隻が参加したそうです。3日間毎日レースが行われていました。 どうやって優勝者を決めるのか全く分かりませんが、今年はモンドルキリが4位に入ったと報告を受けました。国民全部が楽しんでくれればいいのでしょうね。全国民が集まる選手村を政府はちゃんと用意していました。

毎年モンドルキリ選手村にお米とヌードル、缶詰などを差し入れしていますが、今年も多くの選手と観客がはるばるモンドルキリから来ていました。


プノンペン市内の変貌


PPタワーからバンコ方面まだ建築は始まっていない。

PPタワーからメコン川合流点方向(先端の白い建物はソッカ・ホテル)

PPタワーからモニボン通り北側

PPタワーから東側(3)王宮方面

PPタワーから南モニボン通り西側(1)

PPタワーから南モニボン通り東側(2)イオンモール方面

オリンピック・スタジアム周辺の建設状況

プノンペン市内は最近交通渋滞がどこもここも激しくなってきています。車の増加に加えて、路上駐車と市内にインターナショナル・スクールが増えたのが渋滞の原因になっているようです。子弟の送り迎えが幼稚園から大学まであるので早朝から夕暮れまで渋滞は続きます。また市内の建設ラッシュも一因になっているようです。大きなコンクリートポンプ車に加え、大きなトラックミキサー車が街中を走り回っています。
写真の緑色のネットは工事中の現場です。しかしこれらが完成した後がまた心配になります。ハイライズ・ビルのコンドミニアムやアパートに住む人たちは殆どが車を使用しますから、ますます渋滞はひどくなることでしょう。 また観光客も多くなってきています。観光客用にシクロ(人力車)の編隊を時々見受けます。ヨーロッパ人が多いようですが、観光ですからのんびりしたいのは理解できますが、交通渋滞には配慮してほしい所です。


カンダルスタン洪水写真


カンダルスタン・メイン・ゲート4問開聞

カンダルスタン・トランペット 飲み口もほぼ満水

カンダルスタン小水力発電所が冠水

カンダルスタン小水力発電所 ゲート操作の誤り?

キャナルは完全に閉門

国道217号線の冠水

今年もまた洪水が起きました。
毎日水資源省大臣のリム・キム・ホー氏が現場を視察して指示していましたが、洪水はどうしようもないですね。我々が1969年に作り始めたプレクトノット・ダムを完成させない限り洪水調節は不可能です。 下流の小さなゲートで洪水調節できるわけがない、と解っていながらもついついゲートに頼りたくなるのは理解出来ます。何とかなるのじゃないかと思うのが人情ですから。しかし無駄なことです。 JICAが作ったゲートが何にもならない、等と考えることができないのです。 大きなカンダルスタンのゲート(国道3号線のプレクトノットにある)でもどうしようもないのです。カンダルスタンゲート脇に小水力発電所を作っていましたが洪水で被害を受けました。ゲートの管理ができていないのが原因です。誰がゲートを管理しているのかと、水資源省の役人に聞きましたら小水力発電会社が管理しているとのこと。発電所は何故ゲート管理をしなかったのか、寝ていた?急に水が増えたのでゲートを閉める時間が無かった、ということでしょうか。理解に苦しみます。組織として機能していないのです。 斯様にして水資源省大臣が毎日走り回ってもどうしようもない、というのが現実のようです。静かに反省してどうするか検討する必要があります。
国道4号線、3号線、217号線も一時冠水して通行止めになりました。新聞も毎日洪水の報道をしましたが、どうしたら防げるか、という考察はしていないのです。誰が考察すべきなんでしょうね。


ジオパークの現状


ジオ・パーク玄関から奥方向

ジオパーク前の道路冠水原因は浮草除去

スパー・ムーンの日に地の神様にお祈り

セブン・ツリーもこんなに大きくなりました。

ブライダル・ロードもすっかり木陰ができた。

メイソウセンターは再塗装が終わり一新した。

メイソウセンター西側

ワーッと驚くラン園を夢見たがワーッと嘆く。

手入れ不足の苗床

ジオパークの木々は御覧の通り、大きくなっています。期待のジャングルになりつつあります。鳥も多く来ています。 今年は瞑想センターの屋根瓦の修理、柱、壁などの再塗装、窓の修理などをしましたので、元のようにきれいになりました。 公園はいまだに公開していませんので利用者は限られています。ベンスレンロードから公園への細道が今回の洪水で冠水しました。原因は浮き草が水路を塞いだからです。
浮き草を取り除いている間(約3時間)多くの車やオートバイが通りましたが、誰も手伝ってくれませんでした。公園の職員が取り除いた次第です。取り終えたら冠水がなくなりました。


モンドルキリ中学校の宿舎と植木の現状


10年前にモンドルキリへ行く道に植えた火炎樹が多く花をつけていた。

モンドルキリに植えた琵琶の木が花をつけた

モンドルキリの中学校へ宿舎の寄贈

井戸はポンプと手押しの兼用で住民にも利用されている

完成間際の検査(右端が校長先生)

宿舎は最大男女各30人が泊まれる3段式ベッド

モンドルキリの中学校へ宿舎をライオンズクラブから寄贈しました。
5つの小学校から1つの中学校へ進学します。遠い所の小学校から来る中学生は通学することができません。そのため以前は教室の机の上や床に寝泊まりしていました。教室の一角で炊事もしていたのです。 偶々見かけた実情を改善してやろうとライオンズクラブへ持ち掛けて、今回の宿舎建設へとなりました。炊事場、オートバイの駐輪所、3段ベッドの宿舎、70mの井戸を掘りソーラーパネルを付けてポンプで水槽へ上げ、 水道を引いています。夜は余力の電気で室内照明をしています。 宿舎には男女それぞれ30名が泊まれるようになっています。 現在48名が利用しています。サッカー場も完成させました。 スヌールからモンドルキリまでの国道沿いに植えた木がきれいな花を咲かせるようになりました。民家に苗木を配って庭先に植えてもらったのです。その庭先に植えたきが大きくなって花を咲かせています。 火炎樹や通称桜(タベブイヤ)、ブーゲンビリヤなどが咲いています。


ライオンズクラブ活動


センソクLCとシムレアップ・アンコールワットLCの交流会

タケオの小学校へ図書室の寄贈

タケオの小学校へ図書室寄贈

一の宮LCから寄贈

一の宮LCから住民へ井戸の寄贈

今年新しくプノンペン・センソク・ライオンズクラブが発足しました。
日本へ留学した方々のクラブです。千葉ライオンズクラブがホストクラブになっています。 一宮ラオインズクラブがチュバ・アンプー小学校の校舎改修工事と住民へ井戸の寄贈をしました。どこでも井戸が望まれますが、どこを掘っても水が出るとは限りませんから、難しい問題でもあります。今回は幸い水が豊富な水脈に当たり住民も喜んでくれました。 またプノンペンオーバイコムライオンズクラブでタケオの小学校へ図書室と、本の寄贈をしました。


ランドセルの配布


きれいな瞳についうっとり

クラチェの小学校へ図書の寄贈

ストントレンの諸学一年生に黒板の寄贈

セ・サン・ダムから移住者村の生徒

センソクLCとナロン教育大臣とランドセル寄贈式

タケオの小学校

タケオの小学校へランドセルの寄贈

ナロン教育大臣とランドセル寄贈式

プノンペンの小学校へナロン教育省大臣とプレゼント

プレイベンの小学校へランドセルのプレゼント 2

プレイベンの小学校へランドセルのプレゼント

ポーサットの小学校へランドセルのプレゼント

ポーサットの小学校へ寄贈式

モンドルキリ、スレアンプ小学校生徒

モンドルキリ小学校の生徒

ランドセルをもらって喜び勇んで帰宅

富山ライオンズクラブ様から恒例のランドセル2、065個を受領しました。このランドセルの中には日本の絵本や、ノート、ハンカチなどが一緒に送られてきました。絵本は日本語ですが子供たちは喜んで見入っていました。 これらの絵本は個人に渡さず図書室で保管して、誰もが見られるようにしました。図書室のない小学校もありましたので、併せて図書室まで寄贈することになった学校もありました。しかし多くの子供たちが喜んで図書室の本に興味を示してくれることは良いことだと思います。
ハンカチも子供たちは持ったことが無いので、手を洗う習慣もなく利用することが無いのではないかと思いましたが、汗拭きにも使えるのだよ、と教えたりしました。プノンペンの小学校では、ナロン教育大臣も寄贈式に参加してくれました。ランドセルはカンボジアの山岳部や田舎の小学校など地方の子供たちにも渡しました。 富山の小学校の生徒の皆さん、先生方、保護者の皆様方、またライオンズクラブの皆様方に厚くお礼申し上げます。


篠原元大使の思いで探訪


篠原元大使が1960年代にお坊さんとして勉強していた建物

水上と陸上から篠原元駐カンボジア大使を囲んで勉強会

日本人会有志で篠原元大使の思いでの場所を探訪しました。
篠原元大使は1960年代にカンボジアに来られてお寺で修業しながらクメール語を勉強されたそうです。トンレサップ川を船で遊覧しながら、思いで話を聞きました。また王宮近くのお寺で修業された部屋を訪ね、なつかしそうな大使の話に聞き入った次第です。 現在CDCとなっている建物にUNTAC時代に明石大使が常駐されていましたが、UNTAC時代の話など建物中を見ながら聞き入りました。


水祭り(ボートレース)


PP市の電飾船

ボートレース出場選手村

王宮前でボートレース(左奥はソッカ・ホテル)

何人乗っていると思いますか?

各省の電飾ボート2

観客が一杯

観光省の電飾ボート

出番を待つボート

商業省の電飾船

電力局の電飾ボート

独立記念塔辺りも人出で一杯

去年は川の水位が低すぎる、という理由で水祭りはありませんでしたが、今年は盛大に行われました。
選手村もテント村ができて立派な設備が揃っていました。 270隻が出場したそうですが川のない州もありますから、本当に270隻もいたのだろうかと疑いたくなりますが、それは発表を信じるしかありませんね。夜は電飾船、花火、とにぎわっていました。3日3晩ですから本当にくたびれると思います。テレビ観戦、現場で応援と国民全員が酔いしれていました。勿論私も。


水谷紀夫氏が来られた


46年ぶりに訪問してくれた水谷紀夫氏

46年前に架けた仮橋が現在も日本橋と呼ばれて利用されている

プレクト・ノット・ダム頂で

1969年にプレクトノット・ダムで一緒に働いた水谷紀夫氏が突然現れて、現場を訪問しました。懐かしさのあまりついホロリ、46年ぶりですから・・・途中で中断したままの現場を再開して完成させたい!と強く希望されました。勿論私も同感です。これを完成させない限り洪水は防げないし、私のカンボジア人生も終わらないのです。


智士一家が天草訪問


わが生まれし上津深江神社

上津深江港から魚釣りに出かける智士一家

上津深江港から魚釣りに出かける智士一家2

上津深江神社前で神崎家

神崎家のお墓参り

智士親子

津波防波堤もある上津深江港

私の長男坊一家と姉、兄がお盆に揃いました。長男坊一家の天草訪問は初めてで、兄の船で魚釣りなどを楽しみました。 懐かしいお宮参り、お墓参りと忙しい毎日でしたが、やはり田舎は良いですね。


日本人会バーベキュー大会


加茂シェフの挨拶

家族で料理習って一緒に頂くアーおいしいー!

外ではバーベキュー

其々に団らん良いナーとつくづく思う

日本人会恒例のバーベキュー大会がジオパークの瞑想センターで開かれました。加茂シェフの指導で色々な料理の仕方など実演がなされました。また日本人会によるバーベキュー大会も開催され、腹いっぱいごちそうになりました。食事の後はそれぞれ雑談にふけりました。


日本人会盆踊り大会


プノンペン大学生一般混じって盆踊り大会

メコン太鼓演奏の美人

会場は熱気に包まれていた

会場内の売店で買った食事を家族で、友人と楽しむひと時。

会場入り口は時間前にすでにいっぱい

舞台上の踊り子も会場の観客も一緒に踊った。

今年も10月9日にダイヤモンド・アイランドの式場で第12回日本人会盆踊り大会を開催しました。例年通り多くの日本人、クメール人、外国人と、4千人以上集まったのではないかと思います。出店も例年通り多く出て、家族や友人と会食したり雑談しながら歌や踊りを楽しんでいました。
日本人学校の生徒やプノンペン大学の学生、CJCCで勉強している学生など若い人たちが多く参加してくれました。昨年出来上がった神輿が今年も活躍してくれました。子供たちに日本の祭り気分を味わってほしいという有志の方々のご苦労に感謝です。多くのNGOの方々や有志の方が出店を開いて祭りを盛り上げてくれていました。