球技大会を終えて

坂本貴則

 球技大会といえば、その名の通り「タマ」を使って技を競い合うイベントである。
 昨年、ママさん=バレーボールの時代はもう古いと会員さんからの指摘があり、今年はバスケットボールを新しく取り入れる事になった。そのため、バスケットボールのタマを購入しなければならなくなったのだが、役員会である役員から「坂本さんはいつもタマばかり漁っていますね。そんなにタマが好きなんですか?もうプノンペン中のタマは全部把握している感じですか?」と指摘された。私自身、全くタマには興味がないものの、確かにこの2年はタマのことをずーっと考え続けてきた2年かも知れない。もっとも窮地に立たされたのは、一昨年度の運動会。タマ運びのタマを買おうと市場に行ったのだが、時は中華正月。どこの市場もやっていない。何とか苦心して最後にはどうにかなったものの、障害物競走なんて考えなければ良かったと何度思ったことか。昨年の球技大会はサッカーを行うことになった。サッカーのタマなんて余裕でしょうと意気揚々とタマを漁りに行ったところ、タマに番号が書いてあり、大きさが違うではないか。タマの大きさなんてどこも同じだろうと思っていたら、大きさの違うタマに遭遇し、どれを買ったらよいのかわからず、テンパった。  今年の球技大会は上述の通り、バスケットボールを行うことになった。そのため、タマを購入しないといけなくなったのだが、また今年もタマに悩ませられるのかと構えていたところ、ソリヤのシティーマートであっさりとバスケットボールのタマが買えてしまったではないか。これで私とタマとの苦々しい関係は終わりを迎えた!と歓喜の渦が取り巻いたのだが、然うは問屋が卸さぬのが世の常。メールをチェックするとある役員から「バスケットボールにはビブスが必要なので、購入をお願いします」とのメッセージが届いていた。ビ・ブ・ス??美人なのにブス?ビマジョならプノンペンにはきれいなご婦人がたくさんおられるが、ビブスはなかなか難しいのではないかと、よく分からないこと考えたりもしたが、覚悟をすぐに決めた。こうして新しい旅が始まりを迎えた。まずはシティーマートでお手並み拝見である。服の売り場があるため、もしかしたらあっさりと見つかるかも知れない。案ずるより産むが易しとはよく言ったものだ、思っていたが、やはり産むは易くないのである。誰がこんな服買うんだろうという服ばかりしかなく、それが私を一層イライラさせた。こんな服置くんだったらビブスをおけ!と何度思ったことか。しかしこんなことで私はめげない。そういえばこの近くのモニボン通り沿いにスポーツ用品店がいくつかある。運動会の優勝カップが紛失したときも、あの用品店街でカップが買えたのを思い出した。ここなら広いニーズに応えてくれるだろうと胸に期待を抱き、シティーマートを後にした。スポーツ用品店に近づくと、なにやら服がぶら下がっている。あ、あった!と思ってさらに近づいてみると、残念それは救命胴衣であった。しかし店のどこかにあるかも知れないと必死のクメール語でビブスの説明をするも、店員には軽くあしらわれた。私の背中を汗が伝う。さてどうするか。そうだ、アデダスショップがあるではないか。あそこなら間違いない、確信めいた何かが私を突き動かす。心が軽くなったせいか、自転車を漕ぐ脚が軽い。ついてひんやりと冷房が効いた店内に入り、早速店内を物色する。店員が何をお探しですかというのを無視してゴソゴソと物色する。しかしビブスとして使えそうなタンクトップの服は見つかるものの、ビブスそれ自体はない。店員に聞いても、ビブス?何ですかそれは?という返答が返ってくる。その瞬間、店員が言葉を知らないのに、どうしてこの店にあるだろうか、という疑念がわいてくる。そこで店内で見つけたビブスらしい服を手に取り、こういう服みたいなものなんだけどって聞いてみたが、その服の隣にあった服を取り出し、これはどう?と同じような服を勧められた。なんて想像力のない店員なんだ。しかしこれがカンボジアである。もういいよ、それでいいんじゃないという、あきらめの気持ちが私を支配していく。値札を見ると、23.6ドルの値段が張り出されている。何もかも自暴自棄になり、それを30枚買ってやろうという気持ちになるものの、ビブスではないものにさすがにそんな大枚を叩くわけにはいかない。こんなのを買って帰ったら、陰湿な他の役員に何を言われるか、それを考えると容易には買えなかった。その時点での時間は5時。その日の6時半から役員会が予定されていた。もう時間がない。仕方がない、ビブスは探したけれど見つからなかったと白状しよう。役員会でI役員にビール缶を投げつけられてもじっと耐えよう。そう思い、インターコン前のアデダス店を後にし、帰り道に何気なくオリンピックスタジアムの近くを通るとなんとTシャツプリント屋にビブスらしきものがぶら下げてある。神の思し召し。天は私を見放さなかったのだ。早速店内に入り、ぶら下がっているあの服がほしいと話すと、色は赤しかないがいいかと聞かれた。もちろんですよ、この際色なんてなんでもいいですよと思いながら手に取った。万感の思いがこみ上げてくる。これでI役員にビール缶を投げつけられなくてすむ、と一安心したのも束の間、試着してみると小さいのである。全く小さいわけではない。私くらいの人間であれば着られる。しかしバスケットボールをする人はきっとみな身長が2mくらいあるに違いない。そうした人たちがこのビブスを着用することができるだろうか。迷う。非常に悩む。しかし時間が迫っている。はやく決断しなければならない。どうしたらよいものか、大企業の社長は私と同じような決断の苦しみにいつもあっているんだろうなと思いながら、5分ほど悩んだあげく、買わないことを決断した。
 その夜の役員会、私はおそるおそるビブスが買えなかった旨を報告した。怒号が飛ぶ、ビールの缶が投げつけられることが予想されたが、思ったよりもみな優しく、そういうことは一切無かった。昨年と同様カンボジアのサッカー協会から借りられないか聞いてみる、それでだめなら、ハチマキで対応することが決まった。

暑い中、お疲れ様でした.
純粋な僕の瞳..いつまでも忘れないでね
久々の真剣プレー..何か感動します
 そうして迎えた球技大会当日。この日は快晴で、前日に雨も降らずグラウンドコンディションもすばらしかった。バスケットボールに参加した人は若干少なかったが、白熱した試合になり、楽しんでいた。しかしバスケットボールは非常にハードで、3時間も競技をするのは無理だったようである。素人では難しいかなとも思ったが、競技経験がない人でも十分楽しめたようだった。
元高校球児でした
彼も高校球児でした
 ソフトボールは3組に分けれての総当たり戦で行った。Aチーム、Bチームに若い人が多く集まり、優勝候補として一番遠かったCチームが最後は劇的な逆転勝利で優勝した。今年はどのチームの試合も点差があまり離れず、かなり緊迫した試合となった。どのチームも野手が守備で盛り上げるすばらしい展開の試合を行っていた。
絶対に負けないぞー
あはは..-走るって楽しいんだね
 サッカーはというと、0?0で後半を終え、延長戦に突入するという緊迫の試合だった。延長戦の前半にカンボジアチーム側が点を入れ、このまま後半に突入かと思いきやカンボジア人チームが勝手に試合終了だと思い込み、そのまま残念ながら日本人チームは負けと言うことになってしまった。延長戦の後半をやらせてくれていれば勝てていたかも知れないのにとても残念な結果となってしまった。
また補習校の生徒を中心とした子どもたちも、カンボジアのプロリーグに所属している太田選手がミニサッカー教室とフットサルのゲームの指揮をしてくださり、非常によい機会になった。来年もこういうスタイルで子どもたちの球技大会が盛り上がってくれればとても面白いなあと思った。

 最後に、球技大会のサッカーにご協力くださったサッカー協会のレフリーの皆様と応援部隊の皆様、ラタナック病院から救護班として駆けつけてくださったドクター、ナースの皆様、そして球技大会の運営を手伝ってくださった日本人会の役員並びに補習校の先生や保護者の皆様にお礼申し上げます。大変ありがとうございました。皆さんのご協力のおかげで、無事、大きな怪我や事故が無く、スムーズに会が進行しました。また来年の球技大会へのご参加をよろしくお願いいたします。

坂本 貴則(さかもと たかのり)
2011年9月にJICAカンボジア事務所にボランティア調整員として着任。
2002年に4ヶ月間、スバイレエン州の村でホームステイ。それがきっかけでカンボジアで将来仕事をすることを決意した。バングラデシュでの協力隊を経て、運良く2008年より日本国際ボランティアセンターの職員として働いている。この5年知覚でおそらくシェムリアップ - プノンペン間を100往復以上し、地球1周分はガソリン代を消費した、環境に悪い人間だと反省している。