【アーカイブ2】

 

プノンペン補習授業校

2009年度 入園・進級・入学・進学 おめでとうございます

2009年3月14日、第8回卒業式がカンボジア日本人材開発センター(CJCC)にて行われました。来賓、教師、保護者の見守る中、柳田信一校長先生から卒業証書を受け取り、幼稚部から11名、小学部から1名、そして中学部から2名が卒業しました。またお世話になった宇野桜先生、平松高志先生、平松加世先生が離任しました。それぞれの挨拶の後、生徒たちは朝の会の歌、2008年にできた校歌、1年間の思い出をつめた呼びかけメッセージを披露しました。

4月4日、補習授業校で行われた入園・入学式では、心配そうな表情が混じる7人の年中さんと、全学年で最多数を誇る11人の元気な小学1年生が誕生しました。4月現在、51名の生徒(幼稚部13名、小学部32名、中学部6名)が、毎週土曜日、元気に補習校に通っています。

補習校の運営は、日本人会の活動のひとつとして補習校運営委員会、教師、保護者により成り立っています。関係者一同、それぞれが時間、労働、知恵、笑いを提供しながら生徒の為により良い補習校づくりを心がけています。今年度も引き続きプノンペン在住日本人の皆様のご支援をどうぞ宜しくお願いいたします。

 

日本人会ゴルフ愛好会

スタート前、篠原大使より激励の一言

みんな真剣に聞いてます。

日本人会 ゴルフ愛好会
今月からゴルフ愛好会もカンボジア日本人会内の同好会として参入させていただくこととなりました。皆様よろしくお願いいたします。
このゴルフ愛好会、歴史を遡るとカンボジアにゴルフ場ができた1996年頃にまで遡るようです。当時日本人商工会のおじ様たちが集う「一郎」という日本食レストランがありました。そこで、
お客「カンボジアにもついにゴルフ場ができたってね。今度行ってみない?」
マスタ「ほう、そうですか。じゃあ、私から何人かに声をかけてみますよ。」
数日後…
マスター「少し声をかけてみたら意外とゴルフをやりたいって人がいましてね。」
お客「へえ、そうなの。じゃ、マスターの取りまとめでコンペでもやりますか。」
ゴルフもやらないマスターが、取りまとめ幹事を引き受け現総理大臣杯の前身となる「第一回イチロー杯」が開催されるに至りました。
 その後、ゴルフのお好きな大使が、在留邦人のためにとカップを寄贈していただけることとなり、「第1回大使杯」が隔月で行われ、「イチロー杯」「大使杯」と交互に毎月ゴルフコンペが開催されることとなりました。
大使杯は今月で第66回を迎えるに至りました。
 では、「内閣総理大臣杯」の由来は?
 レストラン「イチロー」が処々の理由により閉店され、一時「杯」だけあって冠が無くなってしまった時期がありました。暫くは、商工会有志により「商工会ゴルフコンペ」として運営されておりましたが、2001年、故小渕首相がカンボジアを訪問された際、在留邦人の為にと「杯」を寄贈していただけることになりました。娯楽の少ないカンボジア。在留邦人のおじ様たちは大喜び。ここに栄えある「内閣総理大臣杯」が誕生したのでした。
 そういえばもうひとつ、2000年頃から2004年ごろまで初心者を対象とした「ライオンズ杯」というコンペも存在しておりました。
 「百獣の王ライオン」の「百獣」と「百十」を掛けたもので、スコア110を目指す人たちが主役となるコンペ。初心者にとって、コースに出ることすら緊張なのに、ましてコンペに出るなんて…。、でも、ここカンボジアなら大丈夫。コースマナーやルールを教えてくれる優しい先輩方もたくさんいらっしゃる?し、コースもさほど混雑していないので、他のプレーヤにもまだまだ迷惑にはならないでしょう。
近々その「ライオンズ杯」を再開しようと企画しております。ご興味がおありの方は、お気軽に日本人会までお問い合わせください。
 プレイフィーの安いここカンボジアで初めてゴルフを始める方も結構いるようです。ぜひ、コースの緑の香りを楽しみながら、都会の喧騒を一時忘れてみるのもいかがでしょうか?

《4月25日開催》
第55回内閣総理大臣杯 結果
優勝 長岡奨(OCS)
準優勝 青木新一(Eastern Steel)
3位 篠原勝弘(大使館)
《5月24日開催》
第66回大使杯 結果
 優勝 神崎紘邇(CAMCAL)
 準優勝 平岩俊一(四季)
 3位 野村厚司(TTHK)
以上 敬称略
入賞された皆様おめでとうございました。
次回も優勝目指して頑張ってください。
 
篠原大使・快心の第一打 日本人会会長・渾身の一打
   
 

2009年日本人会大運動会

2月15日(日)ノースブリッジにて、大運動会が開催されました。補修校生徒の作文とともに、運動会の様子をレポートします。

「うんどう会の思い出」

呉 悠仁

うんどう会はとってもたのしかったです。

あせをいっぱいかきました。少しはやくはしれました。

走る前にジュースを飲んだのがまずかった。

あせが顔にいっぱいおちてきて、何回もふかなければならなかったからだ。

「運動会の思い出」

星倉茉音

私は運動会のとき赤組でした。さいしょは、白組がかつと思ったけどさいごにちかづいたら、赤組がいきなりかった!!茉音は、50mそう、玉入れ、パンくいきょうそうと1000mそうをしました。1000mそうのあと、茉音はねっしゃびょうになってつなひきが、できませんでした。リレーは赤組が、かちました。なぜは、赤組のほうが、早い人がいっぱいいたときです。運動会がおわったあとかなこちゃんの家に行きました。帰ったらピアノの先生が来てピアノをならいました。すごくつかれました。次の日も、たいくがあったからまた走って足がつかれました。火曜日にあるけない見たいに足がいたかったです。

   

「運動会の思い出」

6年 三宅未来

2月15日、まちにまった運動会がありました。朝おきてご飯を食べるとそっこうに手伝いを母にたのまれて米をはこびました。グラウンドに行くと、たくさんの人がわいわいと集まっていました。私は母の手伝いをおわりふらふらとあるいて運動していました。なぜならばとてもきんちょうしてじっとできなかったからです。だれかが、「開会式はじまるよー!」、といったので私はグラウンドの前に来ました。準備体操をおえ50m走を走る時が来ました。ようち部がおわり次は小学部にはいったとき私はきんちょうしてしかたありませんでした。そして私の番がきました。

「一についてよーい・・・・・・、どん!」私は一番に走りだしました。けれどもゴール前で油断していたら一人にぬかされてしまいました。一位にはなれませんでしたけれども二位になってよかったです。

次にパン食い競争、たまいれ、つなひきといろいろなしゅもくに入りました。パン食い競争では二番目になりました。パンを加えるのがみんなよりさきにできたのでよかったです。たまいれでは、みんなのたまが頭にぶつかってとてもいたくてなげてられませんでした。つな引きでは、つなをひっぱるときにまさつで手がまっ赤でした。

千メートル走では、一生けんめい走って10位以中に入りました。終わったときはとてもつかれました。そして最後のリレーでは、みんないっしょうけんめいはしったけれども四位になってしまいました。けれどもほかのチームが一位になったのでよかったです。そしてけっかはっぴょうでは赤組が勝ちました!最後の運動会も勝ててよかったです。

   
2008年度 忘年会

2008年12月13日(土)、ル・ロワイヤルにて恒例の忘年会が開催された。約100名の出席者の多くが忘れたかったことは、何と言っても昨今の不況であったようで、そのような話も聞かれたが、宴が始まってしまえばそんな話は何処へやら。皆ほろ酔い気分で楽しい一時を過ごしていたようである。

昨年から始められた出身地別の着席方法であるが、意外な人が意外なところの出身ということが分かり、なかなか面白かったように思われる。また、「これだけ優秀な人物がカンボジアに流出しているとすれば、九州の社会経済は大丈夫なのだろうか?」と心配したくなるほど、在留邦人の九州人率が高さは驚きであった。お笑い芸人くらいしか知事の成り手がいないことの背景には、このような事情が関係しているのだろう。

今年の忘年会は、これまでのような宴会芸パフォーマンス(R指定?)はなく、各テーブルごとに、知性を競い合う内容となった。「忘年会にしては頭を使い過ぎだったのでは?」とお感じの方、年末の宴会芸、期待しております。

   

第4回盆踊り大会

「盆踊り大会」  事務局・松倉宏海
流れるままに日本人会事務局という大役につき気付いた時には盆踊り大会の準備に走り回り(走り回され?)盆踊り実行委員こそが自分の本業ではないかと思う程に、洗脳されていた。いや考える今もなくとにかく忙しかった。でも、不思議と大変な思い出よりも、当日の賑やかな会場の雰囲気が忘れられないでいる。これこそが、祭りの醍醐味であり「喉もと過ぎれば・・・」なのかもしれない。ありがたいことに、日本人会役員を中心とする盆踊り実行委員会のメンバーを始め多くの方々のご尽力のお陰で昨年以上の盛り上がりを見せたことは言うまでもない。果たしてあの会場に精霊を送り返す気持ちを持った人間がいたかどうか定かではないが・・・、関わっていただいた各関係者の苦労を思えば、下手なNGOよりボランティア精神を持った人たちが日本人の意地を見せて、作り出だしたお祭りこそが、世界に誇れる「カンボジアの盆踊り大会」なんだと思う今日この頃です。

芽魂太鼓の素晴らしい演奏

2008年度ボーリング大会

8月17日(日)、日本人会の伝統行事の一つである「ボーリング大会」が開催された。会場となったのは、年々、老朽化が進むパークウェイのボーリング場である。

男性の部・個人ベストグロス賞/早川氏 350点
女性の部・個人ベストグロス賞/山平さん 340点
高学年児童・ベストスコア賞/未来ちゃん 204点
低学年児童・頑張ったで賞/小麦ちゃん 247点
中学生で一番よかったで賞/伸治君 171点
チーム優勝/JOCV LADIES 858点
チーム準優勝/スリースターズ 843点
チーム3位/ローズマリー 824点
 
2008年度、球技大会実施報告

楽しまないと、このおじさんが怒ります。

◇球技大会総括&ソフトボール 日本人会役員 三宅繁輝

 二〇〇八年五月二六日(球技大会申込みの締切日)、日本人会役員会議にて……。「申込みは四〇名ですよ。ソフトボールやめてバレーボールだけにしませんか。それと八時集合は早すぎて、皆遅刻しますよ。九時集合で十分でしょう。」と直前の役員会まで往生際悪く何かと楽をしようと画策する役員M。つくづくおおちゃくい男(彼の郷里・岡崎の方言で「怠け者」の意)である。
「カンボジア日本人会のイベントは、締め切ってからが勝負なんですよ。」と既に百名分のBBQを予約してしまっていた会長O。「申込書/締め切りの存在はなんだたんだろう」と考える暇もなく「肉を腐らせるな」と必至の営業活動に励んだ役員。
 当日は、皆の努力の甲斐もあり、参加者、何と九九人。出来すぎである。この人数が、バレーボール、ソフトボール、ドッジボールのチーム編成にどう影響を与えたかは知らないが、懇親会が無事開催されたことだけは間違いない。
 このおおちゃくい役員Mが、ソフトボールの執行責任者である。さらに彼は、その後茨城に居を構え、「よがっぺ」「いがっぺ」「かまんめ(茨城の方言で構わないの意)」の精神を身につけてしまった。最悪である。彼が前夜水割り片手につくった突っ込みどころ満載の「本大会のみに適用される特別ルール」を各チームのキャプテンに手渡し、自分では説明しようともしない。
 おまけに聞いたところによると執行委員であるにもかかわらず選手としてプレーしていたらしい。
 後日、日本人会事務局アドレスに抗議のメールが殺到しなかったことから、つつがなく試合は行われたのであろう。参加者の皆さんが大人の対応をして下さったことに感謝いたします。

◇バレーボール 日本人会役員 北村哲郎

「女性も参加し易いように」と、企画された「バレーボール」であったが、役員の思惑が当たり三〇名近くの参加者の半数以上は女性であった。
 「サインはV」「アタックNO1」の時代に育った人であれば学校で、職場で時間があれば円陣になって汗を流した経験のある人も多いであろう。また、中学校・高校では誰もが一度は経験しているスポーツである。しかし、バレーボールは続かないと面白くない。ぶっつけ本番ではたして試合になるのか? 担当役員は当日まで不安で不安で「手作り得点版」を一心不乱に作ることで気を紛らわせていたのであった。
 大会当日は、参加者名を見ても実力は分からず、とりあえず五〇音順で三チーム作り、練習の状況を見てキャプテンを決め、メンバーの若干の入れ替えを行った。新しい出会い、友好を第一目的に考え、編成に所属先などを全く考慮しなかったために、チームメイトが当日初めて会う人ばかりという人も多かった。
 しかし、そこは国際派の皆さん!! 人見知りをしている人もなく、試合前の練習には経験者の方が中心となり、「何だ!!これはまるで学校の部活じゃないか」と、目を疑うほど真剣に練習に取り組んでいるチームもあった。
 二一点ラリーポイント制でリーグ戦を開始したが、開口一番「バレーボールになっている!!」参加者みんな驚いた。ボールが行ったり来たりしているだけでなく、三段攻撃、バックアタック、Aクイックそしてジャンピングサーブ!! 日本の体育教育の素晴らしさをここでも再確認させられたのであった。
 デユースの試合もあり、とても白熱した試合ばかりであった。競技終了後も「恒例行事にして欲しい」「毎週やりたい」と言う声も上がり、担当役員・参加者みんな清清しい気持ちでその後の「懇親会」になだれ込んで行ったのであった。

◇ドッヂボール 補習校主任教師 井伊 誠

 さて、最後に子ども達のドッヂボールです。男子生徒の参加が少なく、参加メンバーの体格にも大きな差があったため、チーム分けにやや苦戦しましたが、やや強引な手法でなんとか二チームに分け、試合開始。なんだかんだ不平不満を言っていた子ども達も、ホイッスル後は表情を一変させ、熱闘を繰り広げていました。
 高学年女子の「豪球」を見事にキャッチして返す高学年男子、容赦ない投球に逃げ惑う低学年の女の子、気がついたら試合に混じっていた代理教師(兼日本人会役員)のYさん、あれれ、姿を見かけないなと思ったら照りつける日射にいつの間にかダウンしていたH先生……。
 子どもにとっては全体の試合時間が長く、コートに日陰がなかったこともあって、途中で飽きたり疲れたりしてしまった子もいましたが、小さな子をかばう高学年の生徒の優しさや、補習校では見られないスポーツに熱中する子どもたちのいきいきとした表情に触れることができました。補習校の教師としての喜びが感じられたひとときです。
 その余韻に浸っていたところ、子どもたちからこんな声が……。
「井伊せんせーい、チーム替えしてよーー。あっちのチームのほうが強くてズルイ!」
「▲□ちゃんと同じチームがいいの! チーム替えして!!」
「こっちには◎▲ちゃんしかいないのに、向こうは■×と◯▲が同じチームなんて、勝てるわけないジャン! ズルイよ!」
「ねえ、良い先生なんだから、チーム替えしてくれるでしょ? チーム替えしてくれないと悪い先生になっちゃうんだからね!」
「悪い先生」になっちゃうのは構わないのですが、いかなる分け方をしたところで体格の違いの問題は解決できません。とはいえ、愛すべき生徒たちの声に応じないわけにもいかず、工夫を凝らして何とかチーム替え。
 文句を言いつつも、再び試合が始まるとドッヂボールに熱中する子どもたちを見て、改めて子どもっておもしろいなあと思うのでした。

 

プノンペン補習授業校

みんなの社会見学

CMAC(カンボジア地雷除去センター)本部前にて記念撮影

 2008年6月7日、補修校では社会見学が行われました。

幼稚部は補修校での特別授業(水遊びとスイカ割り)、低学年の子たちはインターコンチネンタルホテルの見学、高学年のみんなはCMAC(カンボジア地雷除去センター)を見学し、たくさんのことを学びました。当日の様子を写真でレポートします。

CMACにて説明を聞く CMACの展示物に見入る子供たち
さあ、いざ社会見学だ。平松先生、遅いよ! インターコンチネンタルホテルの職員説明
ホテルマネージャーの歓迎スピーチ 一番人気だったキッチンの見学
しっかり準備体操 みんな仲良く楽しみました
楽しい水遊び そこそこ、いけー!スイカ割り

 

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