45号

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★カンボジア日本人会会報誌「にほんじんかい」第45号2008/0

<記事抜粋>

カンボジア事情 第12回その1 REAM国立公園とS.V.(シニアボランティア)

JICAシニアボランティア (s.v.)
山路逸也

 カンボジアには七つの国立公園があります。それぞれ素朴さが売り物です。私の活動するREAM国立公園もその一つで、首都プノンペンから国道四号線沿い西南二〇〇キロ足らずの位置にあります。もう少し詳しく言いますと、シハヌークビルに着く二〇キロ手前に料金徴収所があります。車でも、バスでも必ず止まるのでよく分ります。実は、もうここはREAM国立公園内なのです。そこから、あと五分ほど走ると百メートル長の橋にさしかかります。これを渡りきった所が、ズバリ観光客用ボート乗り場です。沿道に立つJICA支援の六メートル×三メートルの大看板も目印になります。


 この公園の魅力は、河口から十キロほど河の両岸に広がるマングローブ原生林とそれに続く白く長い手つかずの砂浜であろうかと思います。勿論、ここでの鳴き砂は本物で他所から持ち運んだものではありません。ここを屋形風小型観光船でゆくのです。
人影のない園内の島に渡ると、カンボジアの高校生が称した、銀色に対する金色の砂だってあるし珊瑚も観られます。それに河口付近では、十月から三月までの乾季で海の穏やかな日には野生イルカが群れをなして泳ぐ姿が見られます。濃い灰色をした普通のイルカと全身がうすい桜色をしたピンクイルカの二種類がいます。これらが仲良く入り混じって泳いでいることもあります。勢いよく浮き上がっては沈み、沈んでは浮き上がるという風で、特にピンクイルカは青い海の色に映え優雅ささえ感じます。ずーっと続いていって欲しい光景です。私はまだ日本のマリンランドのように格好良く空中高く飛んでいるイルカをここで観たことはありません。他人の意思で動き回る飼いイルカと自分で自由に泳ぐ自然イルカとの差でしょうか。
 近くに住む漁民はイルカに関心をほとんど示しません。昔から続いているごく当たり前の光景が普通に彼らの目に映るのでしょう。この様にここでは何の気取りもなく時はゆったり流れています。それがビーチであり、広い河口にあり、マングローブ林中にも共通しています。前にはなかった現象で、今年頃から顕著になって客数を押し上げてきているマングローブツアー人気も理由は案外こんな所に有るのかもしれません。ここでの客の八〇%はいわゆる欧米人で、アジアに属していながら日本人をはじめ中国人、韓国人等アジア人は予想外に少なく、ましてやカンボジア人の個人客にいたってはゼロに等しい状況です。宣伝不足もあります。経済的な問題も確かにあります。が、もっとも大きく影響しているのはさっきの話ー飼いイルカと自然イルカの違いーかもしれません。
 しかし、一見平和に見えるこの公園にも問題があります。園内の島々を含めカンボジア政府公認の長期(百年以内)貸し出し計画が始まり、複数の民間観光会社の投資の元、かなりの規模で見栄えのするいい場所から順番に公園を切り裂きにかかったからです。ほほう、この国では国立公園海岸付近にゴルフ場を造るのも立派なエコツーリズム開発なのだと。大事な下水処理設備も、マスタープランを見る限り、さっぱり見当たりません。直接出てきた黄金色に触れるのが嫌なのはマングローブに住むカニやエビだって同じでカニしてくれです。単なる私の杞憂であって欲しいものですが、人にはもう一つの触れたがる黄金色がある限り、厄介な問題になりそうです。

 この様な中で、私は自分に課した観光客増進と自然保護の二つの活動を同時に進めています。他所はいざ知らず、ここでは一体のものとして考える方が効果がありそうです。やれ枝を折るな、ゴミを捨てるな、など、程度の低い看板なんか恥ずかしくって立てられません。それだけ客の質は高いものと見ています。観光客増進については、幸いなことに、前任者やJICAの支援のおかげで、二〇〇八年は二〇〇七年比で二倍の観光客数を超えそうです。前倒しで年間一万人達成は実現できそうです。観光看板類の増設、パンフ配布キャンペーン、船を含む施設の新設.改善などが功を奏しているものと思います。着任した二〇〇六年十月の公園従業員の月給一三$も二〇〇八年に入ってからはようやく三二・五$に上がりました。やっと、一日一ドル以上の生活です。今後、客数をより伸ばすには今のシハヌークビル市内を主とするキャンペーンから、プノンペン、シェムリアップにも拡大する必要があります。昨年と同じくこの雨季を利用してそれをやります。うちでは、マングローブ林を利用したエコツアーもオプションの一つに出来ないかと手始めにカヌーを利用したカニとりをやりだしました。エビ、貝、魚~ と地元漁師をも徐々に巻き込むことになりそうです。いや、彼らも観光に一役買ってもらう必要があります。将来カンボジア人観光客を呼ぶためにはこの広い静かな河口を利用したカヌー大会などのイベントに参加して欲しいからです。


 次には自然保護問題があります。
 今、考えられ実行していることは、とにかくREAM国立公園内に観光客を増やし続けてゆくことです。その間、カンボジア人高校生など若い学生達をドンドンここに招き自然の美しさ、自然の大切さを彼らの肌で感じ取ってもらうのです。YOUTH ANDECOLOGY PROGRAMと名うって既に三回目を数えています。海を見たことのない学生が多く、声弾み満面の笑みで波打ち際に向かってつっぱしる姿に感動すら覚えます。四回目は少し遅れて六月初旬となりそうです。おなじSVとの共同作業です。
 また、日本の新聞記者たちにもREAMの現状を日本の人に記事を通じ知らせて貰っていますが、これからはNGOとの連携も視野のうちです。少し鋤を深く入れると活動は楽しいものではなくなってきます。しかし、地面をガラガラ引きずっているだけの鋤では何の役にも立ちません。自分の納得する活動はしたいものです。

 

カンボジア事情 第12回その2 カンボジア国勢調査に立ち会ってみて in Siem Reap

JICAカンボジア政府統計能力向上計画フェーズ2
技術協力プロジェクト 業務調整員 栗田 貴之

 今回、私は、JICAが行っている技術協力プロジェクト、「政府統計能力向上計画」の一員として、Siem Reapで国勢調査の立会いを行った。その時同行した計画省統計局T職員の奮闘ぶりをレポートしたい。
 三月二日二〇時、T職員とともにSiem Reap市庁舎前に到着、と同時に彼は五〇人以上もの調査員への備品の配布、調査員からの質問の回答などにせわしなく動きまわりはじめた。日頃はクメール人らしく、とても笑顔が似合うT職員だが顔には既に日々の激務による疲労がにじみ出ている。T職員は私と同じ三〇代後半で中間管理職的な立場。どこの国も働き盛りの中間管理職は大変なんだなぁ、日本でも一般的に見る、疲れ果てた私と同世代のサラリーマンの姿をいつしか私は彼に重ねていた。
 二二時、調査開始式がほぼ予定通り始まった。州知事が壇上に立ち、調査員に対して国勢調査の重要性をスピーチし、調査開始。数多くの調査員がバイクのけたたましい爆音とともに、担当地域に散らばっていく。

「クリタ、僕らも出発しよう」
 T職員とともに私も州知事をはじめ要人の調査視察に同行することに。道中T職員は、要人たちからの質問に答える一方、携帯電話へ絶え間なくかかってくる調査員からの質問の対応に忙殺されている。見る間に急激に蓄積されてくる疲労、ストレスは彼の顔を見ると明らかだった。
 午前零時、視察終了。
「ゆっくり休んでね」
 宿舎への帰路、彼に挨拶をした。
 「うん、でもまだ仕事があるから……」
 答えたT職員の目はうつろだった。
 翌日朝八時、T職員と合流。
「疲れているようだけど大丈夫?」
 私からの問いかけに
「うん、大丈夫……」
 と力ない笑顔。彼の携帯電話には、昨晩同様、調査員から容赦なく問い合わせが浴びせられている。普段は穏やかなT職員だが、さすがに電話の対応には苛立ちが隠せない。それでも国勢調査を無事に終了させるべく、決死の形相で問題をクリアしていくT職員。クメール人ってこんな粘り強いのか、私は彼の背中にクメール人の責任感の強さと気概を見た。

 

実地調査の様子(於:プノンペン)

 一五時、私がPhnom Penhに戻る時間が近づいた。
「じゃあ、僕はPhnom Penhに戻るよ」
 彼に声を掛けると、T職員が
「ところでクリタはアンコールワットを見たことあるよね?」
 と突然質問をしてきた。
「実はまだ見たことないんだ。今回は時間もなかったし。」
 と答えると、驚いた表情で
「え? 言ってくれれば連れて行ったのに! まだ時間はちょっとあるよな。今から行こう」


 彼からのオファーを頑なに拒否しているのに私たちの乗った車は一路アンコールワットへ。約五分だけ、私はアンコールワットを堪能した。T職員の業務を妨害することとはなったが見るといつもの温厚なT職員の姿が戻っており私はちょっと安堵した。
 初めて見るアンコールワットの遺跡も非常に壮大であったが、私の心にはT職員が持っている、クメール人の優しさのほうが強く打ち付けられた。たぶん、カンボジア全土で、T職員のように粘り強く、かつやさしさを持って業務を進めた職員がたくさんいて、彼ら一人一人の支えが大きな力となってこの国勢調査が進められたのだろう。 その偉大な清い流れに少し触れられ、私もまた勇気付けられたのであった。
 今回の国勢調査の調査票は八一もの調査項目からなっており、質問の内容も難易度が高いものでした(ちなみに、日本の国勢調査の調査項目は大規模調査時で二二項目です)。又、予算制約上、雇用された調査員の数が約三万人と少なかったため、一人の調査員が担当する地域が平均で約六平方キロと広くなりました(これは、日本の国勢調査における平均と比較すると、約一六倍の面積に相当します)。
 カンボジアの気象、道路事情、バイクや自転車の所有率等を考慮すると、このような厳しい条件の下、今回の国勢調査が大きな問題なく無事に終了したことは、賞賛に値することでしょう。

[参考]
カンボジア国勢調査に関する情報
http://www.stat.go.jp/info/meetings/cambodia/census08.htm

 

特別寄稿 JBAC(カンボジア日本人商工会)の活動について

 

丸紅株式会社
カンボジア出張所長(執筆当時)
今井明良
 


 昨年四月から今年三月までJBAC(カンボジア日本人商工会)の会長を勤めさせて頂いて、感じたことを少し書かせて頂きます。

 なぜ日本の企業活動がカンボジアで拡大しにくいかについてよく質問を受けます。本当に活動が拡大していないかの検証は必ずしも簡単ではありませんが、直接投資額、貿易額、そして会員企業数を見る限りその傾向は否めないでしょう。
 しかしカンボジアを訪れた日本人の数は昨年一六万人と前年比一七%増とアンコールワット遺跡の見学を中心に確実に増えているし、また各種政治経済ミッションがカンボジアを訪れる頻度も明らかに増大しており(JBACが一年間で面談したグループ数は一四)、日本人としてのカンボジアへの興味は明らかに増大していると思います。

 要はどうしたらこの興味を実際のビジネスに繋げられるかでしょう。
 簡単な答えはありませんがヒントはあります。カンボジアの何が日本のビジネスにとってユニークか、優位性があるかです。特に近隣するタイ、ベトナムと較べて何が魅力か、何が特徴かを見極めることでしょう。
 ひとつは観光資源と客を迎えるホスピタリティー。アンコールの遺跡観光でひとつの切掛けはできています。これを他の遺跡そしてシアヌークビルを中心とする海洋リゾートにまで対象を広げていくことは大いに可能性がありそうです。ホスピタリティーは相手の目をみて笑いかけてくる人たちを見れば素質は十分です。
 そしてわずか一五年あまりで多くの人が(自動車運転手もレストランの職員も)外国人に通じる英語を話すようになった進歩を見るとこちらも合格(タイ、ベトナムと較べても)、この観光関連分野であればこれからも日本企業、日本の企業人が活動領域を増やしていく可能性は○ではないでしょうか。

 そしてもうひとつの優位性のある分野が農業、林業でしょう。台風も地震もなく、雪も霜の心配もなく、安定した降雨があり国の中央を大河が流れる国はそんなにありません。そして土地を愛し、耕し、作物を育てることを喜びとする国民が多数暮らしている国はもっと少ないでしょう。
 そして世界中が穀物を求め、植物性燃料を求め、植林を起源とする工業製品を求める傾向は益々強まります。日本の購買力の拡大は残念ながら望みにくい状況ですが、企業としてこれら産物をアジアを中心とした地域に販売することには大きな可能性が広がります。カンボジアの農林の豊かな資源、人的資源を使い、この価値を高めた上で近隣のマーケットに広めていくことこそアジアの経済先進国である日本の企業にとって魅力のある分野でしょう。但しそのためには日本企業がカンボジアの制度、社会、国民をより深く理解し、自ら近づいていく努力が必須と考えています。
 こうして日本の企業活動が近い将来、カンボジアで拡大発展していくことを願っております。

カンボジア雑記第12回その1  クメール人のオッパイ

National Institute of Education Science
金森正臣

 乳房は本来、哺乳類が子どもを育てるために発達した。起源的には単孔類(カモノハシ)と同じ様に汗の腺が発達したものと考えられている。しかし様々な変化があり、出産する子どもの数に応じて、数が決まっている傾向にある。付着する位置も、胸部(ヒトや多くのサルの仲間、ゾウなど)、腹部(ネズミ類やブタ)、鼠径部(ソケイブ:もものつけね)(多くの蹄のある動物)など様々である。
 動物は普通、発情期があり、セックスは子孫を残すためだけに行われる。しかし、ヒトとピグミーチンパンジーだけは、発情期が外見的には不明になり、いつでもセックスができる状態になった。この2種類に関しては、セックスは子孫を残すためだけではなく、個体間のつながりを保つための要素になっている。ピグミーチンパンジーでは、乳頭が発達していないから、ヒトだけが、異性を引き付ける役割を乳頭の発達に求めたのだろうか。立ち上がっているので、前面に出ていて目立ちやすいことからであろう。

 アンコールワットを見学していると、多くのデバータやアプサラ(女官や舞姫)の彫刻に出会う。いずれも上半身は衣類を着けず、立派な体格と豊かな胸をしており、クメール人がこの様な人々であったろうと想像される。体格は太く短く、がっしりした骨盤の張った安産多産型であり、現在のカンボジア人にもこのタイプは多い。
 現在のカンボジアの女性も、胸が立派である。日本人に比べて、オッパイの立派な女性の割合は、はるかに高い。その上に、より強調するために、ブラジャーに厚いパットを入るからますます、立派に見える。あまり女性の下着売り場などを見ないから、日本人がどの程度の増量を試みているかは知らないが、カンボジアでは市場の目立つところに置かれているから、嫌でも目に付く。身長に対する胸囲の大きさは、カンボジア人の方が上であると思われる。
 少し下に目を移すと、三〇代に入るとカンボジア人はお腹も立派で、オッパイ以上に出ている。したがって胸が大きな割には、目立たない。だいたい途上国では、飢えから解放されて食料が十分になると、肥満化が加速する。アフリカの多くの国々では、まずお巡りさんが肥り出す。小遣いがせしめられる様になり、食い気に走るからであろう。カンボジアも例外ではなく、数年前に比べるとプノンペンでは明らかに肥満が増加している。
 女性が胸を強調するのは、現在は男性に対する性のアピールである。進化史的には子どもを育てられる象徴としての意味があったであろう。人工乳なども発達して、胸の大きさは必ずしも子孫繁栄を意味しないが、男性の価値観が置換されて乳房そのものに引かれる傾向がある。乳房の大きさは、乳量と比例しないのは、動物の一般的なもので、飼育したことのあるヤギ・ヒツジ・ウシなどでも乳房の大きさと乳量は比例しない。むしろ精神的安定の良い母親は乳量が多い。サルなどでも、乳房の発達は著しくなく、オスを引き付ける役には立っていない。人類は直立して前面が相手に直接見えることから、かなり特殊な方向に進化したと言える。ヒトの乳房は付く位置にも特徴があり、成長すると普通はやや脇に向いて付く。たぶん四足歩行の時代に脇に向いていた方が、授乳し易かったからであろう。多くの動物でも乳頭は外に向いている。ブラジャーなどで矯正して無理やり正面に向けているのは、なんだか無理が有る様に感じる。デバータやアプサラも乳頭が正面を向いているから、この位置の方が、若く美しく見えたりするのだろうか。とすればやや外側を向くと、あまりにも機能一辺倒で、異性を引き付ける魅力に欠けるのかかもしれない。
 人類学的には、それぞれの人種ごとに形態はかなり異なっている。成長するに従って性ホルモンの増加と共に発達し、出産を繰り返すとさらに発達する。一般に白人は、体全体が大きく、胸の発達も良い。黒人は、さまざまに分化しているが、乳房は発達し長くなる傾向にある。授乳が進むとますます長くなり、本人が乳頭を直接口に持って行けるのは、黒人ぐらいであろう。アフリカで使っていたトラッカー(原野で動物を追跡するために雇う現地人)は二六歳であったが、その母親はまだ出産を繰り返していた(私が知っているのは一六人目の子ども)。トラッカーの子どもがおばあさんの子ども(おばさんに当たる)をあやしていた。この母親は、乳房が三〇センチ以上あり、左右で結ぶことも出来たし、肩に担ぐことも出来た。靴下状に長く、先端だけに血管が発達し機能していることを示していた。白人の乳房が大きいからと言って、この様な方向に成長した例は見られない。黄色人種は、一般には白人や黒人より胸が小さい傾向にある。これは環境(摂取できる栄養状況など)によるものか遺伝的なものかは明らかではない。
 カンボジアの地方では、まだ時々授乳を人前でする光景を見かける。昔の日本を見ているようで懐かしい。三月にプレイベンに乗り合いバスで出かけた時に、小さな子どもがぐずりだしたら、若いお母さんが大きなオッパイを出して授乳を始めた。ハイエースクラスのワンボックスカーに二六人も乗っており混んでいるから周囲のおばさんが荷物などを持ってやってようやく授乳が可能になった。しばらくすると子どもは幸福そうな眠りについた。おばさんたちは、子どもを覗き込みながら何か大笑いをして楽しそうだった。いつからブラジャーをするようになったのか知らないが、アフリカでは今でも上半身は覆わない、スワッジランドやモシなどの部族が見られる。だからと言って特別に性的なマナーが低いわけではない。ヨーロッパの中世の絵画を見ていると、若い娘さんがオッパイ丸出しでパーティーの接待をしていることがある。隠すことにどの様な意味があるか不明である。

カンボジアの奇人・変人・日本人 第12回

ボーリング場から見た国家の品格  ラオスとカンボジアの比較

八木沢克昌
(社)シャンティ国際ボランティア会(SVA)
常務理事・アジア地域ディレクター

「ボーリング場から、その国が見える」。
アジアの国々を取材しながら各国のボーリング場を実際に見て、プレイしたバンコク駐在の邦字新聞元アジア総局長の言葉だ。長年アジアを鋭く見て、現在、ワシントン総局長。ボーリングの腕前は、プロ並みであった。この言葉を思い出して、プノンペンで唯一のボーリング場に出かけた。
 前任地で三年間駐在した隣国ラオスの首都ヴィエンチャンは、プノンペンの人口の約半分。カンボジアと同じように、経済的には世界の最貧国の一つ。GDPもカンボジアとラオスは、ほぼ同額。しかし、ボーリング場は市内に三カ所あった。一カ所は、韓国資本の老舗のボーリング場。毎月、国際ルールで定例の大会を開催するという本格的なものであった。さらに三年前にオープンしたボーリング場も最新の設備。ボーリング場の隣には、同じ経営者の所有するディスコが若者たちで賑わっていた。そして、極め付けは、華僑の資本で建設されアセアンの国際会議の開会式も行われた国際会議場からショッピング・センター、映画館もある建物の中にもボーリング場があった。このボーリング場は、最新式の二十レーンもあり個室付のVIPレーンまであった。
 プノンペンのボーリング場は、市内の中心のパークウェイという、買い物からゲーム・センター、レストラン、屋上にはゴルフの練習場もある小型娯楽センターの中にある。現在、ここがプノンペンで唯一のボーリング場。ご存じ日本人会のボーリング大会もここで開催されている。レーン数は、一二レーン。しかし、二レーンは、いつも故障で動いてない。

 気になる料金は、一時間、一レーン六ドル。この金額の設定がプノンペン独特。休まず投げると一時間で、約六ゲームが出来る。一ゲーム約一ドルの計算。ヴィエンチャンと金額は、ほぼ同じ。どちらもラーメン、うどん一杯程度の料金。しかし、ボーリング場のレーンの状態とサービスを比較すると、誰が見てもプノンペンはヴィエンチャンより格段落ちる。
 レーンで働く人は、三人程度。ボーリングの知識がまるで無い。レーンの油の状態は最悪。ボールや手を拭くレーン備付のタオルは、匂いのする雑布並の古さ。
 ボーリング場は、朝九時から夜一二時まで開いている。平日は、だいたい閑古鳥が鳴いている。土日の午後だけは、お客さんで少し賑わう時間帯がある。客層は、カンボジア人が約七割。残りは、外国人。日本人は、特別な人を除いてまずいない。ボーリンをするカンボジア人たちは、服装から判断すると中流階級以上の人々で大半が車で来る。家族連れと若者たち。極少数、マイボール、マイシューズを持つ常連がいる。ヴィエンチャンは、バイクで来る人も多かった。カンボジアの常連の人たちのボーリングの腕前は、ヴィエンチャンと比較する相当に落ちる。

  ヴィエンチャンでは、ボーリングがラオス人の間ではなく各国の大使館の人たちや中流階級の人たちの娯楽と社交の場となっていた。
 ボーリングをしながら食事をしたり、お酒を飲んだりする人も多かった。ラオスを代表する人気女性歌手たちもゲームを楽しんでいた。プノンペンは、ゲームの料金が、一時間で計算されるので、のんびりと食事やお酒を飲む雰囲気ではない。また、ボーリング場の雰囲気が根本的に違う。ヴィエンチャンでは、仲間同志だけでなく、隣の知らない人同士でもストライクやスペアをとると拍手をしたり、歓声があがる和気藹々の雰囲気。プノンペンは、基本的に仲間同志のみで楽しんでいる。国の置かれている背景と国民性がよく出ているようだ。
 カンボジアの殆どの小学校には、運動場がない。地方でも九割以上の小学校に運動場がない。隣国のタイやラオスは、地方の小学校には、必ず運動場がある。プノンペン市内には、街の至るところにカラオケ、ナイトクラブ、ディスコ、レストランがあり大繁盛。場所によっては、昼間から営業している。ヴィエンチャンには、人口が半分としても、ここまでの数は到底ない。また、営業時間も政府により規制がある。
 プノンペン、ヴィエンチャン、さらにバンコクと比較すると、ボーリング場だけを見ても、その国の経済力と社会、国民性がよく表れている。ボーリング場の周囲も喧騒のプノンペンに対して、静寂のヴィエンチャン。ボーリング場を通して見た首都、国家の品格は、カンボジアよりラオスに軍配が上がるようだ。

主婦のおしゃべり広場第4回 今日のネタ探し

佐々江 愛那

 会報誌編集の打ち合わせに、たまたま居合わせてしまった私。
「○○さん無理みたいよ。」
「えー、じゃあ誰に書いてもらう?」
 そんな会話を耳にし、お調子者の私は半分冗談で
「私が書きますよ。」
 その後、
「決まったから、お願いね。」
 と、あっさり言われてしまいました。
 NOと言えない日本人の典型、頼られると嫌と言えない性分、そんな私の稚拙な文章ではありますがご拝読下さい。
 在留邦人の中では、恐らく長期滞在の部類に入るであろう私の過去のカンボジア体験をちょっとご披露。カンボジアに来て一ヶ月経つか経たないかのまだ右も左もわからない状況の時、カンボジア人の同僚たちとカンポットへ。道中、窓がドンドンと叩かれる度にバスはストップし、皆がなーんにもないような林や畑の中に散らばっていく様子に私の頭の中は「?」。一人の人の後について行こうとしたら、ついてくるなと怒られるし、そんなにいいものでもあるのかと益々不思議な気分。すでにお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、何を隠そう、これぞカンボジア流トイレ休憩! そりゃついて来られたら困りますよね。不衛生な汚いトイレを使用するよりはるかに清潔だし開放的。もちろん私も体験済みです。
 この道中にはもう一つおまけつき。サトウキビをもらったのですが、食べ方を知らず噛んでも、噛んでもなくならない筋だらけのサトウキビに悪戦苦闘。これを噛み砕いているカンボジア人の歯って、なんて丈夫で強いんだろう、と感心しながら無理矢理飲み込んでいたんです私は。知らないって怖いですね。今ではクチャクチャ噛んで甘い汁だけをお腹の中に、そして筋だけになったかすは捨てるということを覚えました。
 やっと目的地の海に到着。ここでまたまた、不思議体験。海だ! 海だ! 水着になってさあ泳ごうと思ったが、誰一人として水着になる気配はなし。みんなサロンを上手に使い、あれよあれよと短パン・Tシャツに早代わりするではありませんか。そんな中、水着になる勇気もなく、ましてや水着を持ってきたこと自体恥ずかしくて言えず、私一人だけ帰りの心配をしながら、着て来た服を濡らす水遊びをしました。当のカンボジア人たちは、満面の笑みでタイヤでプカプカ、温泉にでも浸かっているかのように水辺でチャポチャポ。これぞカンボジア流海水浴! その後数年は海へ行く度に、水着ではなく泳ぐための短パン・Tシャツを持って行き、水着姿の外国人を見ては、カンボジア人と同様ワーッて感じで珍しいものでも見るように眺めていました。

 長年住んでいると、カンボジア(特にプノンペン)、カンボジア人の変化には目を見張るものがあります。
 そのひとつは、カンボジア人のファッションスタイル。来た頃は女性といえば踝が隠れるようなロングスカートが主流で、肌を露出する服装なんてとんでもないという雰囲気。日本ではミニスカートで街を闊歩していた私ですが、郷に入ったら郷に従え、というか、たとえ外国人であろうとミニスカートをはくことに後ろめたさを感じ、ロングスカートもしくはパンツスタイルの日々を過ごしていました。が、どうでしょう、最近の若い女の子は、ボディーラインくっきりのシャツあり、へそ出しあり、超ミニあり。ミニスカートでバイクに乗っている女の子を見ると
「あら、あなたパンツ見えちゃうわよ。」

 なんておばさん気分で言いたくなってしまいます。これも時代の流れでしょうか。
 時代の流れといえば、きれいに整備された公園や噴水周辺では、最近は、若い男女のカップルが仲睦まじくおしゃべりし、時には手を取り合い、時には見つめ合い、時には欧米人並みにハグハグ、チュー、なんて光景も。見ていると結構楽しいですよ。一昔前には決して有り得なかったことに、カンボジアも変わってきたなあ~ ってしみじみ感じてしまいます。お断りしておきますが、私は決して羨ましがっているのではなく、カンボジア人の変化に飽くまで純粋に驚いているのです。母親の持って来る縁談をことごとく蹴って、自分で選んだ人と結婚すると言って、行き遅れになりそうな友人もいます。カンボジア人の恋愛観、結婚観も確実に変わりつつある、と言えるのではないでしょうか。
 娯楽が少ないと言われるカンボジアですが、こうやって人々の様子や、街の様子を見ていると、ちょっとした娯楽になると思います。しかし、皆様、決して自分がその対象にならないようにご注意下さい。色々な所で、今日のネタを探して目が光っていますからね。

カンボジア雑記第12回その2  カンボジア人の給与水準と生活状況

JICA専門家 岩名隆夫

 最近の首相演説によると、縫製業、靴製造業の従業員の最低賃金US$50/月は2008年—2010年まで凍結。一方、政府役人の賃金は2008年度20%アップすると言う(昨年は15%、10%と2回改定した由)。おかしいと思いませんか?何か矛盾した政策であるが、首相の発言は法律に等しい。だれも異議を唱えられない。誰も騒いだりしていない。

 所詮安月給だけでは並みの生活などできない現実。この四月にコメ不足とのうわさが流れ、二ヶ月間の輸出禁止政策を公表したが、実際には町にコメがあふれているのではないかと思われる。グリーンなんとかが急きょ政府のストック米の放出を行った。朝の通勤時間帯に一村一品マーケット前にトラックから降ろされたコメはその日の午後に通過した時点でもまだ販売所の前で積み上がっていた。誰も買い急ぎなどで騒いでいる雰囲気はなかった。しかし、コメの値段が急激に上昇したため、今の安月給では家族用のコメ一ヶ月分を購入すれば消えてしまう。どうやって生活をしているのだろう。そのギャップは不思議である。それがチップか、手数料なのか税金なのか、いわゆる賄賂というものだろう。とにかく政府役人はどこかで金を稼いでいる。今後も米一キロとガソリン一リットルがほぼ同じぐらいの値段で推移していくのだろうか? 

 首相は経済フォーラムでの演説で「石油がなくても人は生きていけるが、食糧がなくては人は生きられない」と繰り返し発言していた。確かに一般庶民にとっては米の値段の急騰は死活問題であろう。一方、一台の値段が十万ドル(諸税込みで一千万円)はするであろうLEXUS車が氾濫しているプノンペン市内のようすをみると、政府役人の給与水準で、誰がどうやって購入・維持しているのだろうと疑問だらけに思えてくる。給与水準と町の生活状況とのギャップは信じがたい。
 小職はプノンペンに赴任してまだ六ヶ月目である。葬儀、結婚式の場に出席する機会があった。職場であるカンボジア開発評議会(CDC)という組織の中の投資関係の部署に勤務しているが、その一部局の課長さんクラスの人が急逝した。香典の相場はせいぜい20ドルくらいであろうと想像していたのだが、どっこい職場の上司は600ドルをつぼに入れていた。近くにいた同僚にいくらぐらい入れるのか聞いてみたら「気持ちだけでよい。自分は50ドル入れた」という。50ドルといえば一か月の名目給与ではないか! と思いながらも小職もつられて、つい60ドルを入れた。
 出席した結婚式は金持ちの結婚式であった。披露宴式場でよく知られた例のMondlial CenterビルのJKL三部屋ぶち抜きで2000人招待という。経済大臣も出席するという話だったので、小職は名前の入った招待状の封筒に30ドルを入れて受付の箱の中に投入した。食事は超豪華であった。中華料理主体で「フカヒレらしきスープ」もあった。各テーブルにはジョニーウォーカーのGoldラベルが置いてあった。30ドルを入れておいてよかったと思う反面、カンボジア人の生活水準に照らすと、どうしてこんな大そうな式をやるのだろうかと疑問に思わざるを得なかった。何かちぐはぐな経済情勢と一部の富裕層の生活の一端を除くことができた。
 なお、小職は日本からの投資促進目的で、多くの投資を検討している日本企業から話を聞き、相談に応じている。毎回のことながら所属する組織内部の収賄体質と、不透明な仕事ぶりに悩まされながらも、最近のカンボジア国に対する日本の投資が確実に増えるであろうとの感触を得ている。カンボジア開発評議会の幹部は「カンボジアは日本から多大なODA援助、NGOからの支援を受けてきた。日本からの民間投資を受け入れ恩返しがしたい」という。
 「日本からの調査団、ミッションは過去数多く受け入れてきたし、数多くの企業と面談している。しかし、実際の投資実績の少ないのはどうしてか?」と首をかしげている。しかし、昨年あたりから、カンボジア市場を見直し始めた日本企業の往来が増えているので実際の投資に結びつく時期が近いと期待している。

クマエ・クマウ・クマオイ第5回  プノンペンに着任してはや1年

 三井物産カンボジア事務所長

中原憲一

  昨年四月に当地に着任してはや一年、体重を約十キロ増やし、ゴルフのスコアを約一五打増やし、お蔭様でとてもプラス志向の日々を送っています。今回日本人会報への寄稿依頼を頂戴しましたので、この機会に自己紹介をさせて戴き、更に多くの皆様とお知り合いになれればと希望しています。

 小生は1959年広島に生を受け、小中高ではサッカーを、東京での大学時代には体育会ヨット部という所で年間120日を越える、今思えば良く生き延びた、苦しい合宿生活を四年間送りました。当然の結果として一年留年、これではいかんと大学院でちょっと勉強、1984年に漸く三井物産に入社しました。以降プロジェク本部に所属、大阪、ブラジル・リオデジャネイロ、そして人生観の変わる様な生活をバングラデシュ・ダッカで送り、今回プノンペンに至った仕儀です。

 入社以来色んな場所に出張・駐在しました。今思い出しても冷や汗が出る経験を何度もしましたが、今回はその中からとても笑える一例を皆様にご紹介しましょう。それはブラジルから戻り、本店でイラン・リビア・スーダン・アンゴラを担当していた2002年のことです。我ながら凄い国々を担当していたと思います。何れも豊富な原油とガスを有するにも拘らず、その開発資金と技術に不足するという共通点を持ちます。

 ある日リビアのトリポリから最速でイランのテヘランにどうしても入る必要がありました。ぎりぎりでトリポリ空港に到着、既にゲートが閉まっていると言っている様子ですが(英語が通じない)、ここは持ち前の強引さで強硬突破、アリタリア航空ミラノ経由テヘラン行きに何とか滑り込みセーフ、地中海を眼下に冷たいビールを堪能していると、飛行機が地中海に浮かぶ島に向かって降下を開始、何とマルタ島という所に着陸してしまいました。

 何だ、マルタ経由かと思っていたら、乗客が嬉々として飛行機を降りてしまうに至り、これは大変、航空会社に文句を言う

と、このフライトはトリポリ発マルタ行き、ミラノ行きはこのフライトの直後にトリポリを出発したとのこと! 強行突破した小生も悪いが、搭乗券を見せているのだから乗せる方も悪い、少なくともゲートの表示は英語にすべきだと言っても後の祭りです。

 空港・航空会社関係者一同集まって、最速でのテヘラン到着ルートを協議、結論は何とスイス・チューリッヒ経由。お陰で美味しいチーズホンデユーを堪能出来ましたが、テヘランでの会議に欠席、大目玉、だけど初期の目的は何とか達成出来ました。皆様、搭乗券とゲートは良く良く確認しましょう。

 さて、カンボジア。過酷な国々での経験が故か、小生には天国です。トンレサップ河畔の王宮、風にたなびく各国の国旗、昔は東洋の巴里と謳われたという美しい町並みを、日本企業製のバイクで颯爽と行き交う若い女性達、そして何と言ってもクメールの微笑に象徴される愛すべきカンボジア人気質。既に二回携帯電話をレストランに置き忘れましたが、二回共ちゃんと保管しておいてくれました。東北部の田舎に出張した際、どうしても我慢が出来ず、高床式の農家に飛び込みました。言葉は全く通じませんが、とても親切に対応してくれ、巨大な豚さんのとなりの簡易水洗でちゃんと用を足すことが出来ました。拙宅のメードから、「ボス、洗濯籠のズボンのポケットからxxxドル出て来ましたよ」と言われたのは数知れません。

 カンボジアは、当社関連会社が一部参画する石油ガス開発や、他の海外投資で大きな経済発展が期待されています。その美しい伝統、愛すべき国民性を損なうことなく、持続可能な成長の実現を目指し、微力ではありますが、尽力して参ります。

 

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