【アーカイブ5】 2009年度 役員のみなさま お疲れ様でした こちら役員の方々のメッセージです。  

プノンペン補習授業校のページ、リニューアルしました!

2010年3月13日、プノンペン補習授業校の卒業式・終業式がカンボジア日本人材開発センター(CJCC)にて行なわれました。
プノンペン日本語補習授業校校長の柳田です。校歌にも歌われている『楽しく集うプノンペン補習校』を紹介いたします。

補習授業校教師、来賓者、幼稚部卒園生6名と小学部卒業生2名との記念写真 ■プノンペン補習授業校 教師募集中!!■  プノンペン補習授業校では、現在、教師を募集しています。 経験や資格は問いません。子供が好きな方、大歓迎。勤務日は 毎週土曜日の午前8時から12時です。  

2009年度 カンボジア日本人会「大運動会」

 去る2月7日(日)に2009年度日本人会大運動会が盛大に開催されました。当日は天気にも恵まれ、補習校の子供たちやその保護者、教師を中心に、就学前の幼児から70歳を越える方まで、各方面からの会員約170名がノースブリッジインターナショナルスクールのグラウンドに集いました。

参加者は全員「赤組」と「白組」に分かれ、栄誉ある(?)「大運動会優勝杯」の獲得を目指し、各競技とも見ごたえのある熱戦が繰り広げられました。開会式直後の準備運動の段階で体力を使い果たした参加者もいたようですが、「赤組」「白組」共に団長を中心に一致団結し、各競技種目だけに限らず応援合戦でも火花を散らしていました。

参加者は全員「赤組」と「白組」に分かれ、栄誉ある(?)「大運動会優勝杯」の獲得を目指し、各競技とも見ごたえのある熱戦が繰り広げられました。開会式直後の準備運動の段階で体力を使い果たした参加者もいたようですが、「赤組」「白組」共に団長を中心に一致団結し、各競技種目だけに限らず応援合戦でも火花を散らしていました。

競技内容は、50m走、30m走、玉入れ、綱引き等の定番種目に加え、パンくい競争、借り物競争、湯飲みリレー等のレクリエーション性の高い種目を織り交ぜ、最後は「混合スウェーデンリレー」で締めくくるというプログラム構成でした。

選手宣誓 カワイイ副団長

 

日本人会名誉会長 黒木大使閣下の挨拶

日本人会 中原会長の挨拶

 お母さんに手を引かれて走る就学前の幼児を見て微笑み、足がもつれて転んでしまう中年男性を見て笑い、パンくい競争で地面に落ちたパンを一生懸命に口で拾い上げようとする小学生に感心し、リレーのアンカーの激走に声援を送り、老若男女を問わず、「みんなで盛り上げて、みんなで楽しんだ」という印象を強く受けました。休憩時間に家族や友人たちと輪になって食べたお弁当も、子供たちにとって思い出深いものになったことでしょう。優勝した白組の皆さん、おめでとうございました。

 

50m走 男子50代の部 熾烈な戦い 50m走 中2女子の部 熾烈な戦い

パン食い競争 誰の口が一番大きい? 二人三脚 凸凹トリオも結構大変

当日のスムーズな競技進行を裏で支えてくださった「支援要員」の皆さん及び救護班として待機してくださっていた「SOSクリニック」の皆さんに心から感謝いたします。大きな事故や怪我もなく無事に本イベント終了できたのは皆さんのおかげです。また、事前準備から当日の運営まで、それぞれの役割をしっかりと果たした実行委員会のメンバーにも敬意を表します。そして何よりも参加者の皆さん一人一人のご協力にお礼申し上げます。ありがとうございました。
運動会実行委員長 馬田英樹
 

補習校玉入れ(低学年)ドンドン入れなきゃ! 補習校玉入れ(高学年)カゴが遠いー!

 

「パン食い競争」 馬田小麦(四年)

二月七日にNISCで運動会がありました。色々な競ぎがあって、一番楽しかった競ぎはパン食い競走です。なぜなら男の子の中で一人だけ女の子だったのに、一位だったからです。
ならんだ時、私は順番にならびました。四年生はけっこう後のほうでしたけど、すぐに出番が来ました。前の人たちが走っている時田中さんがパンのくわえやすいところを教えてくれました。前に出て、いよいよ走ります。
「位置について。」
少しドキドキしてきます。
「用意。」
心ぞうばバックン、バックン。
「ピー。」
笛が鳴って、みんなで一緒にスタートします。パンの所についたら、みんな止まって、田中さんが教えてくれた場所を一生けん命くわえようとします。「プツッ。」
私がパンを取りました。あとはゴールに走るだけ、と思ったら、けん君と力生君が追いかけるように走ってきました。ぜっ対パンを落とさない、と思ってゴールしました。私はスタッフの人に一位のゾーンに連れて行かれて、安心しました。
「来年も一位になるぞ。」と思いました。

 

1000m走 男の子も女の子も一斉にスタート! 1000m走 ゴール直前でまさかの転倒!

1500m走 一番! 1500m走 韋駄天たちのスタート

「運動会」 八木伸治(中二)

 二月七日、運動会がありました。ぼくは、六種目に出ました。一番思い出に残ったのは千五百mです。ぼくは、今まで、毎年出場してきました。ぼくは、最初はゆっくり走って、あとで速く走ることにしました。スタートしたら、自分以外の人は、みんな速くいきました。ぼくは、うしろから二位でした。大きいグラウンドに入ったとき、3人ぬかしました。そのあとは、みんな速い人だらけだったので、とりあえず、今の順位を守ろうと、しました。3周目に入ったとき、最初におそく走ったかいがありました。そのままずっといって、最終的に。六位くらいでした。来年こそは、入賞したいです。来年もいるか、わからないけれど、もし、いることになったら、来年も千五百m走に、出たいです。

 

お弁当タイム みーんな笑顔

綱引き 補習校生徒たち 力をあわせて、オーエス・オーエス!

うんどかい エバンモラン(二年)


 二月七日の日ようびに 一年に一どのうんどう会がありました。
ぼくは赤組でした。
二年生はぼくだけでした。
ぼくは、つなひきとパンくいきょうそうに出ました。
つな引きは、二回でて2回ともかったので赤がかちました。
パンくいきょうそうは、一番でした。何のパンかおぼえていないけれど、おいしかったです。弟のけんぞうも、パンくいきょうそうに出ました。おかあさんといっしょだったけれど一番ビリでした。
全体では、白組が勝ったけれど楽しいうんどう会でした。

 

借り物競争 「きれいなお姉さん」って先生? 綱引き一般 見よ!お母さんのこの勇姿 借り物競争 大人も真剣 スエーデンリレー 小学女子からスタート

「運動会」 坂野知恵(五年)

 二月七日に補習校の運動会がありました。私は、いろんな種目に出ました。私が一番がんばったのは千メートル走でした。私のにがてな種目はパン食いきょう走でした。
パン食いきょうそうで私はパンをとる時にパンがゆれて私がかじろうとした時パンが、ほかの方にゆれたのでちょっとむずかしかったです。はやかったのは赤組のまりかちゃんでした。
玉入れの時に玉を変な方向になげちゃいました。ときどき赤い玉がとんできたりして、頭の上からおちてきたりしました。
つな引きの時に私は手がとれそうになりまになるまでがんばりました。
リレーでは私が白でした。私はちょっとこわかったけれど次の人の所まで走りました。私は西村もも子ちゃんのかわりに走りました。
千メートル走で私はずっと走りました。最初はゆっくり走りました。半分までいってつかれてもがんばって走したら三位の人をぬかして、うしろにいるお姉ちゃんが走って来て赤組の人が私の前に来て私は五位になりました。つかれたけど楽しかったです。
 
優勝カップ授与 今年は白が優勝でした スエーデンリレー 老若男女が入り乱れ

   

月刊カナモリ 「カンボジア犬事情」

CIESF カンボジア国際教育支援基金・理事・カンボジア代表 金森正臣

 イヌは、しばしば飼う人に似ると言われる。カンボジアのイヌを見ていると、カンボジア人の行動に似ていて、笑ってしまうことがある。イヌは、国や文化によって飼われ方が大きく異なり、同じイヌかと疑いたくなることがある。東アフリカのイヌは、飼い主について歩いているが、けっして気を許していない。人が立ち上がると、ゴロゴロ寝ていたイヌは、さっと立ちあがって蹴飛ばされない程度の距離を置く。子どもたちでも同じで、あまり撫でたりしているところを見掛けない。

 以前に読んだ文献では、ニューギニアやインドネシアの一部でも同じ扱いで、子どもがイヌをなでると、親が怒ると云う。カンボジアのイヌは、怠慢この上なく、人に踏まれそうになっても、ゴロゴロと寝ている。写真1のイヌは、花屋さんの前で、忙しく働いている人たちに踏まれそうになりながらも、起きる気配はなくゴロゴロ。

 

ゴロゴロ犬

 私が、「金玉冷やしポーズ」と呼んでいる「はいつくばり」は、カンボジアでしか見たことがない(写真2)。両足を後ろに投げ出して、両手は前に投げ出し、腹を完全に地面に付けている。暑いときには、腹全体が冷えて気持ち良さそうに見えるが、動物のイヌとしては、いかがなものか。40年ぐらい以前に、新潟県と福島県の県境の地域の調査で、「マタギ」と呼ばれる日本の伝統的狩猟者たちと2ケ月ほどをテントで暮らしたことがある。熊撃ちの話が出たときに、クマが生きているか死んでいるかの判断は、四足の裏が、上を向いているか下を向いているかで判断するといった話があった。「金玉冷やしポーズ」は、死んだ熊のポーズである。私が育った寒村でも、毎年50-60頭の熊が獲れていた。ある日猟師が熊を数頭打って持ち帰れなくなり、牛車を頼んで、クマを積んで帰った。途中で熊の一頭が息を吹き返し、牛がびっくりして走りだし、谷に落ちてしまった事件があった。うちの村は、「マタギ」はいなかったので、判断に甘さがあったのであろう。

 

金玉冷やしポーズ

 カンボジアには、他にも変わったイヌの習性がある。主人がバイクで出かけようとすると、急いでバイクに乗りたがる「バイクイヌ」。写真3のバイクイヌは、走ってきて器用にバイクの後部座席に飛び乗る。イヌの手足は、サルの様に掴まる様にはできていないから、カーブでは遠心力で振り落とされそうなものだが、器用にバランスをとっている。振り落とされそうな危険を冒してまで、バイクに乗りたがるのがイヌとしては変だ。ほかにもスクーターではなくバイクのハンドルに手を載せ、足は不安定なボデーに乗せて乗っているイヌを見たこともある。カンボジアのイヌは、だらしなく寝ていることが多く、あお向け寝しているイヌもいる(写真4)。うちの近所の食堂のイヌは、自分が入れそうな容器で、食事をしている。なんとなくカンボジア子どもたちが、どんぶり飯(実際は皿盛り)をお代わりしている風景と似ている。良く食べることは、エネルーギーの源であるから、日本の子どもも見習って欲しいくらいであるが。
 

 

バイクイヌ  イヌは、オオカミやジャッカルに近い仲間で、社会性の強い動物である。リ-ダーがいてその下にランク付けされた、メンバーが集う。人になつきやすいのは、この社会性のためで、リーダーの代わりに人を置き換えている。家族がいると、家族の中の一番強いメンバーの直ぐ下に付こうとする。家族の中で自分のランクをいかに高くするかは、イヌにとっては重要な仕事である。イヌを通してみると、一家のランク付けが明瞭で、子どもが最も上位で、一家の主人が最下位だったりすることもある。イヌは、品種によってかなり変化があり、主人を一人しか持たず、他の人には馴れない仲間もいる。日本犬やカンボジアのイヌは、この仲間が多く、主人にはよくなれるが、ほかの人には馴れない場合が多い。ゴロゴロしているイヌでも、知らない人に撫でられたりすることは少ない。

あお向け寝 食べ過ぎ

   

カンボジア事情 「カンボジアの水道」

カンボジア指導事業・人材育成プロジェクト・フェーズ2・チーフアドバイザー・木山 聡

 本項ではカンボジアの水道についてご紹介を申し上げます。
1 都市水道って?
 湯水のように使うという言葉があります。それほど日本人にとって水は身近にありながら、さして意識せずに使っているもののうちの一つであると言えます。また日本では水道普及率は95%を越え、どこにいても清澄で安全な水を謳歌出来ます。昨今では日本においても蛇口から直接、水を飲む人は減ってきていますが水系伝染病から健康を守る上で都市水道はやはり重要な役目をはたしているのです。
 さて、都市水道とは何でしょう。先にも間接的に述べましたが、日本の水道法では清澄かつ安全で安価な水を安定的にお届けする事がその使命であるとされています。
 仕組みを簡単に述べると河川や井戸から水を汲み、健康に害をなす不純物を取り除き、消毒し皆さんのお宅まで御届けするという事になります。
 安全性を保証するため、WHOは水質に関するガイドラインを定めており、ここカンボジアでもそのガイドラインに従いさまざまな物質の含有量に関する基準が定められています。ここで言う基準とはあくまでも水道に関するものでペットボトルは対象外です。よく勘違いされている方がいますが、ペットボトル水は食品衛生法の規制を受けます。水質基準は大量に長期間飲用する事を前提としているため非常に検査項目も多く、厳しいもので日本に於いてもミネラルウォータなどはその基準をクリアさせる事は到底現実的とは言えぬものです。ちなみによく発がん性物質として話題にあがるトリハロメタンなどは4Lの水を毎日40年間飲み続け、100万人に一人が発病する可能性があるという点まで絞り込まれています。
 料金の面からするとペットボトル水は水道水に対して日本では約2,000倍(500mL 150円換算)、カンボジアでは約1,900倍高価であると言う事になります。(1.5L 0.65$換算)このように見ると少なくとも日本ではペットボトル水は嗜好品と言えます。
 しかしながら、安全で安価な水を配るべく使命を負っている水道には特に途上国において大きな弱点があります。その一つは初期投資に多大の費用が必要であり、人々の暮らしを守るのに追いつかないということです。カンボジアでもその例に漏れず地方では未だに多くの都市で安全な都市水道は普及しておらず、ペットボトル水は不可欠のものと言えます。また一般の人々は決して安全とは言えない水を飲用せねばならない状況も少なくありません。

2 カンボジア水道
1)プノンペン
 カンボジア水道施設もその他のインフラ基盤と同様に過去の歴史の中で大きな痛手を被りました。パリ和平協定直後の1993年には給水能力は一日に65,000m3しかなく、10時間程度しか供給されていませんでした。もちろん飲用は不可でした。当時、プノンペンの水道緊急援助に着手したのはUNDPですが、総合的なマスタープランは日本の手により作成されました。そのマスタープランに基づき世界銀行、日本を始めとするドナーが集中的な施設建設援助を実施し、2004年には一日に235,000m3の供給能力を持つに至り、2005年には24時間給水が実現しました。さらに昨年2009年には日量300,000m3に拡張されました。ここにおいて現在のプノンペン市内の一般市民に対する供給能力はほぼ充足されたという事ができます。しかしながら、プノンペンの急速な人口増加そしてプノンペンの影響が周辺地域まで拡大し大都市圏を形成しつつある事を考えるとさらに100,000程度、施設の拡充が必要となります。そのため日本では有償借款による援助準備を進めているところです。

 水質的には日本の都市水道と同様飲用可能です。
 日本はプンプレック浄水場建設無償支援や配水管網整備無償支援などの施設整備のみならず、技術人材育成などを実施しました。飲用可能となった背景にはこの技術援助がうまく機能したということもあります。
 ところで、飲用可能なのは家庭の入り口までです。今のところカンボジアでは一般家庭には受入槽、高架水槽の清掃義務はありません。もし、プノンペンにお住まいで戸建家屋にお住まいならば、水槽をバイパスしてはいかがでしょうか。そのとたんに蛇口から直接飲用可能になります。残念ながら停電したとたんに浄水場が操業停止してしまうため、電力事情が不安定なカンボジアでは常に停水の危険性はありますが、ボンケンコンにある我が家で、過去3年間で水が止まってしまう悪影響を受けたのは1度しかありません。
 最低料金は1m3あたり950リエル。平均990リエルです。

2)地方水道概観
 現在カンボジアには14の公営水道があります。そのうち8公営水道にのみ飲用可能な能力を持つ浄配水設備が整備されています。
 その8都市とはバッタンバン、プルサット、シェムリアップ、コンポントム、コンポンチャム、スバイリエン、カンポット、シハヌークビルです。
 2008年人口統計によれば、その8都市の総人口は664,195人となりますが、給水人口は146,133人に過ぎず、給水率は30.7%となります。
 課題の一つは不足する浄水設備です。 
8都市合計で供給能力は53,600m3であり、2015年のCMDG目標給水率80%を満たすためには150,000m3以上の新設が必要となります。
 さらに配水管網にも大きな問題を抱えています。
現在8都市には総延長403kmの配水管が布設されていますが、その30.7%が1993年以前に布設されたものであり、漏水率は35%程度あると推定され更新を必要としています。さらに新たに160km以上の新設が必要です。
 1m3あたりの料金は公営水道で1,200リエル程度です。私営水道では大きなばらつきがありますが安いところで2,000リエル程度となります。
3)シェムリアップ
 プノンペンの他、日本が施設建設援助した水道はシェムリアップです。2006年に完成した浄水場は日供給能力8.000m3です。必要とされる供給量には到底およばない生産能力ではありますが、上質の水を供給する事ができます。直接配水区域では飲用可能です。
 料金は1m3あたり1,470リエルです。
4)運営体制
 カンボジアでは水道は鉱工業エネルギー省の所管となります。工業局の中に水道行政のトップとなる水道部はあり政策決定をする業務分掌となっていますが、カンボジア省庁の常として管理能力強化を支援する必要があります。
 実際の水道運営は地方鉱工業エネルギー局に属する水道局が行っています。一線に働く地方水道職員の意識は高く、現在実施しているJICA水道人材育成プロジェクトで、うまく指導出来れば第2、第3のプノンペン水道公社がでてくるのも夢ではないと思っています。

3 まとめ
 さて、ここまでカンボジア水道を概観してきましたが、まとめると以下のようになります。このような状況を踏まえ、日本は援助を継続していく予定です。
1) プノンペンは援助をうまくいかし、今では蛇口から飲用可能な水を供給出来る。しかし、人口増加やプノンペン周辺を含めた首都都市圏と考えた場合、施設拡充有償援助が必要であり日本も含め準備中である。
2) その他の都市ではまだまだ、無償建設援助が必要である。
3) 中央の体制強化が必要である。
4) 地方水道の技術指導が必要であり、近い将来には飲用可能な水が供給される。

以上、つたない文書ではありますが多少なりとも皆様に水道の情報を御伝え出来れば幸いです。

   

カンボジア雑記 「子どもが買える国とかものはし」

かものはしプロジェクト・本木 恵介

 バーストリートで生ビールを飲むことがあるとおもいます。「ソンタッコー(氷をください)!」「モイテ(もう一杯)!」なんていいながら、気持ちよくなることがあるとおもいます。もしかしたら、気まぐれがおき、ごみ拾いをしているストリートチルドレンと話をすることがあるでしょう。そして、ふとした好奇心がおきて、この子はどこに住んでいるんだろうと思って、彼らについていったら、そんなときは注意してください(そんな人はあまりいないとおもいますが)。

 あなたには尾行がついています。警察官、もしくはNGOのスタッフが監視をしています。もし性的行為に及んだ場合は間違いなく逮捕されるでしょう。賄賂を払ってどうにかしようと思っても、難しいでしょう。

 カンボジアは児童買春問題で非常に有名な国です。つまり、カンボジアに来れば、誰もが子どもを買うことができる国だと。しかしながら、様々なNGOや国際機関、政府の努力により、この問題はだんだんと解決されてきています。

 この問題解決に向かっている要因は、経済成長が続いている、教育レベルがあがってきた、アメリカ国務省がプレッシャーをかけている、など様々なことがあるとおもいます。その要因の一つに警察の執行力が強化されたということもあります。

 かものはしプロジェクトは児童買春問題を解決することを使命として活動しています。この分野でのスペシャリストとなり、世界の児童買春問題を解決することを目標としています。どんな活動をしているか紹介をさせてください。

一つ目の活動は児童買春の「買い手」が買うことができなくなるように、法執行を強化することです。内務省やユニセフなどが行っているプロジェクトに参加し、警察官がしっかりと、児童買春や人身売買を取り締まるよう支援をするプロジェクトです。

もう一つは児童買春の「売り手」に対するプロジェクトです。売り手が体を売らなくてすむようにします。

プノンペンやシェムリアップのお土産屋さんやホテルで「I love Cambodia」というタグがついたイグサ製品をみつけたら、それはかものはしが支援している村の女性たちがつくったものです。

キーワードは「大人に仕事を、子どもに教育を」です。農村に仕事を創り出し、子どもを売らずに技術を売る、そうして得たお金により生活して、子どもたちは学校に行くことができるようにしようとしています。現在40家庭を支援しています。

作っているのは、観光客向けのお土産品です。残念ながら、カンボジアで売られているお土産品は、タイやベトナムなどの輸入品が圧倒的に多く、カンボジアの製品は少ないです。なぜなら、長く続く内戦により組織もインフラも壊されてしまったからです。逆に言えば、しっかりトレーニングをし、組織化していけば、十分競合できる商品をつくることができます。

 活動をしていて気づいたのは、ビジネスとしてやる大切さです。単にトレーニングをしていたときは、商品の質が悪くてもしょうがないなぁと、なんとなく甘やかしてしまいます。しかし、お客さんは許してくれません。品質が悪い商品は戻ってきます。それで村の女性たちは大いに成長します。市場経済に翻弄されていた村の人たちが、逆にそれを活用して成長していく、そんな風にいえるかもしれません。

 かものはしプロジェクトの特徴としては、ビジネスライクなところがある、という点です。日本ではWEB制作事業を行っており、大企業のWEBサイトを制作しています。よくお涙頂戴で仕事をもらっているんでしょう、と言われますが、純粋に技術力を評価して頂き仕事をもらっています。この資金と、寄付・会費を活用して、カンボジアでの活動をおこなっています。

 私たちはまだまだ未熟な団体です。多くの人の参加によって初めてなんとか活動できているのが実態です。もし関心を持っていただいて、例えば、「営業先を紹介するよ」、「工場運営に関してアドヴァイスできるかもしれない。5Sはな・・・」のような方がいらっしゃたらぜひご連絡ください。助けてもらいたいと思っています。

   

主婦のおしゃべり広場 「私流 ロシアンマーケットの歩き方」

斉ノ内 昌子

 午前8時30分、娘と息子をそれぞれの幼稚園に送り届け、さぁ出掛ける時間です。どこへ行くのかとお尋ねですか。プサー・トゥール・トンポン通称ロシアンマーケットです。午前中お時間のある方は、ぜひ、私とご一緒しませんか?幼稚園から南西に車を走らせること10分足らず、ロシアンマーケットに到着。本日は定番コースでのご案内となります。プノンペン在住1年半余り、まだまだカンボアジア新参主婦による指南、心許なく、不案内な点はご了承下さい。


 ツアーをスタートさせる前に注意点を。市場内は蒸し暑く短時間でもかなりの体力を消耗します。水筒の携帯は必須です。また、外国人観光客向けのスリが多いことは皆様ご承知の通り。貴重品にはくれぐれもご注意を。
 st.450とst.155との交差点で降車、ロシアンマーケットお買い物ツアーは、通り沿いにあるNGO関係のお店からスタートします。ハンドクラフト製品を多数扱うお店は値札が付いており、値段交渉は不要。安心して購入出来ます。民芸品や銀製品、カードやTシャツまで多彩な品揃え。何を買おうかと目移りします。
 市場内へは東側の出入り口から入ります。ここは衣料品の一画。海外ブランドの衣類が安価で売られていますし、子供服や下着、靴やカバンが所狭しと並べられています。午前9時過ぎには、外国人観光客以外にも地元カンボジア人で混雑し始め、買い物客で通路が一杯に。買い物を終えたら早めに引き上げましょう。続いてシルク製品や銀製品を扱う南側へ移動。色とりどりのスカーフや可愛らしい小物類は日本へのお土産にも最適。銀細工、アクセサリー店のショーケースも鮮やかで試着したくなるものがたくさん。石の種類や細工の細かさに関係なく、重量で値段が決まるところが、カンボジアらしくて面白い。陶器や籐製品を扱う一画では、ベトナムで購入を諦めた食器を。スーツケースに無理矢理詰め込まなくても、こんな身近なところで手に入るのです。小さなお店がひしめき合うロシアンマーケット内。次回迷わずたどり着けるよう、仲良くなった店主にお店のネームカードをもらい、店上にある店番号を控えておきましょう。


 買い物も一段落し、喉も渇いて来たところ、一息つきます。出入り口周辺に多数ある観光客向けのカフェは、エアコンが効いていて内装もオシャレ。飲み物メニューも豊富で、サンドイッチやカレー等、軽食を取ることも出来ますが、本日は市場内の食堂でフレッシュジュースを頂きます。絞りたてのオレンジシュースは甘酸っぱくて疲労感が吹き飛ぶ美味しさ。
 市場の醍醐味、生鮮食料品売り場に立ち寄ることもお忘れ無く。季節の果物やカンボジアスイーツは午後のおやつや夕食後のデザートに頂きます。


 ツアーの締めくくりには、市場の外に昨年出来たばかりの洋品店をのぞいてみます。日本で流行中のファストファッション店の様な小綺麗な店内には、試着室も用意されていますし、トイレも衛生的です。
まだ時間に余裕があれば、オープンしたばかりの美容店でネイルアートを試してみたり、日本人女性が経営している生花店へ行ってみるのも一案。


 そう、私はロシアンマーケットが大好きなのだ。日本へ帰国し、カンボジアを思い出す際、懐かしむのは世界遺産アンコール遺跡群でも、乾季と雨季の水位の差に驚かされたトンレサップ川でも、また、暗く悲しい歴史の跡地トゥールスレーン博物館でもなく、ロシアンマーケットに違いありません。ごちゃごちゃして迷路の様に入り組んだ通路、手強い店主との片言クメール語を駆使した値引き交渉、時には店番をする子供の巧みな戦術・笑顔に降参、予定外のものを購入する羽目に。熱気と活気に溢れ、大勢の人で賑わう市場。山積みの商品に圧倒されながらも胸が躍る。そういう訳で今日も私は、癒しの地ロシアンマーケットへ駆り立てられるのです。狭い通路で、人目を憚らず品物を物色している私にお気付きの際は、ぜひ声をお掛け下さい。掘り出し物を探しに行きましょう。


 そろそろ幼稚園のお迎え時間が近付いて来たようです。本日のロシアンマーケットツアーはこれにてお開きとさせて頂きます。お付き合い有難うございました。

   

クマウ・クマエ・クマオイ 「カンボジア在住の日本人」

カンボジア味の素株式会社・西村 伊千郎

 皆様初めまして。西村伊千郎と申します。「カンボジア味の素株式会社」の設立に伴いまして昨年十月に赴任して参りました。現在プノンペン経済特区内に建設中の新社屋・新工場も概ね組み上がり、操業準備が本格化しております。
これからが本番スタートといった状況ですが、一方ここまでの道のりを思い起こすと当初あまり想定していなかった方々に大いに助けていただいたことに気付かされます。

 それは「カンボジア在住の日本人」の皆さんでした。投資環境や諸制度に関する情報提供いただいたのは日本人の方、実際に準備が進行していく過程で個別の問題に回答・解決の方策を提示していただいたのも日本人の方、許認可の申請や取得にお力添えいただいたのも日本人の方、そもそも政府省庁やその関連出先機関等に多くの日本人の方々が在籍されていて日本語でお話できること自体が驚きでした。

 プノンペンに引越して間もなく日本人会に入会。盆踊り大会や運動会にも家族全員で参加させていただき少しずつ顔見知りの方が増えていった頃のことでした。
「初めまして、味の素の西村と申します」と挨拶させていただいたところ「あぁー民間の方ですね」。むしろ民間が普通(?)と思い込んでいた自分の見識の狭さに気付かされました。
別の機会に「どちらからいらしたのですか?」の問いかけに「上海からバンコクそれからプノンペンです」と答えたところ、「いずれも大都会ですね、私はウズ(・・)に居たのですがプノンペンは便利ですよ」。ウズ(・・)とはウズベキスタンのことでした。帰宅してから地図帳を取出しウズベキスタンの場所を確認した次第です。
 また諸手当の水準を決める為に東京本社から担当スタッフが視察調査出張して来ることになり、大使館をはじめプノンペン事情に詳しい関係各位に大変お世話になりました。「カンボジアの生活環境についてお聞かせ下さいますか?」と当社スタッフがお伺いしたところ、「天国ですね。素晴らしいところです。こんなことを言うと査定が低くなってしまいますか。ワッハッハ」。内心豪胆な方だなぁーと思いつつ更に話を伺うと、「アンゴラ・リビア・スーダンではまずお酒が飲めませんし、他にもですね~、、、」。今度はカダフィー大佐が登場、比較対象があまりに凄すぎて思わず地図で確認することを忘れてしまいました。
まさに「カンボジア在住の日本人恐るべし!ツワモノ揃いだ」の感を強くしています。

 民間企業の私にとって、それぞれのお立場で援助や支援といった活動をされている方々から話を伺えることは新鮮かつ興味深いことです。「味の素株式会社」ではCSR(企業の社会的責任)活動の一環として、カンボジアでは1998年からカンポット州を中心にこれまで六校十二校舎を寄贈、2000年からは三つの栄養改善プロジェクトを支援しています。
 「カンボジア味の素社」では投資・雇用・人材育成等を通じて、日本企業に相応しいきちんとした貢献をしたいと考えております。一方それとは別に私一個人としてこのカンボジアで何がしたいか?何が出来そうか?を考え始めたところです。

   

奇人・変人・日本人 「あのシェフ」

C3研究所主任研究員  安田 理裕 / 井伊 誠 / 明 宏志

 皆さんはC3(シーキューブ)という言葉を耳にしたことがあるだろうか? C3とは、Chef with Chicken in Cambodiaの略であり、レストランやケータリングサービス(冠婚葬祭向け)の看板に見られる「あのシェフ」を指す言葉である。(写真1参照)

 2009年に発足されたC3研究所は、C3の分類やその歴史を研究することを目的に設置された民間の研究機関である。なぜ、このような一見馬鹿げた組織が設立されるに至ったのか?その背景には、研究者たちの純粋な疑問があるのであった。
その問いとは、C3つまりは「あのシェフ」のような格好をした料理人がカンボジアに存在しないにも関わらず、どのような理由や歴史的な背景のもとに、カンボジア人はあの看板を見て、レストラン或いはケータリングサービスの店と認識するようになったのかというものだ。

 恐らく、一般的にはあまり注目されることのないC3であるが、これをよく観察してみると先の疑問の他にも、様々な疑問が生まれてくる。
・彼の国籍はカンボジアなのか?或いはどこの国籍か?
・彼は料理を持っているが、料理を客席に運ぶボーイなのか?或いはシェフなのか?
・あのシェフをあのシェフたらしめる原型(古代哲学でいう「イデア」)とは何か?
本研究所は、こうした問いに答えるべく、日々調査と研究を進めているのが、調べれば調べるほど、答えより先に新たな疑問が生まれるというのが研究の現状である。

 

写真 1

写真 2 写真 3

 写真2と3をご覧頂きたい。これらはレストランなどではなく、それぞれ醤油の瓶において採集されたものである。写真2はタイ製、写真3はカンボジア製の醤油瓶である。特に説明は不要と思われるが、写真1にあるようなC3とよく似た特徴を持っているのだ。ここで、当然、「飯屋が先か、醤油が先か?」という新たな疑問が生まれてくるのである。

 次に写真4のC3をご覧頂きたい。これはやはりレストランの看板であるが、これに至っては、写真2と瓜二というか、複製としか言えないものだ。(反転させたところと料理に個性が表れている。)読者の皆さんはお気づきではないかもしれないが、このタイプはカンボジア北西部でよく見られる種で、当研究所内ではショウユオヤジ類と呼ばれているものである。これだけを見れば、つい醤油が起源なのではと思いたくなってしまうのである。

 こうした見方に対し真っ向から異を唱える者たちもいる。看板屋業界である。彼らの意見は概ね、「あんなものは、俺の爺さんの時代から作っていたよ。彼(C3)は中国からやって来たのさ。」というのだ。
 

 

写真 3

 プノンペンが華人の町であったことを考えると、これもなかなか説得力のある話である。「じゃあ、いわゆるシェフの格好は西洋じゃなく、中国ってことか?」とシェフそのものの起源を求めて、世界を旅したい衝動に駆られるのは、何も我々研究者だけではないであろう。

 これらはあくまでC3研究の一端と言えるものであり、全国レベルのサンプル調査を進めていく中では、動物やアニメキャラ、実物の人物を模倣したと思われる種や、アラブ系の血を引くと見られる種、もう何がなんだか分からないヤケッパチ、自暴自棄的な種も見つかっており、C3研究は混迷を極めているのである。

最後になりますが、会報誌読者の方で、「こんなC3を見つけた?」、「C3を他の国で見たことがある。」などの情報をお持ちの方がいらっしゃれば、是非当研究所までご連絡下さい。

 

 

 

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