★カンボジア日本人会会報誌「にほんじんかい」第42号2007/09

<記事抜粋>

 

 

カンボジア雑記(9)

クメール美人

 

National Institute of Education(NIE) sciences adviser

金森正臣

 

 最初にカンボジアに事前調査に来た折に(1999年)、ある先生が鼻から口の辺りを片手で覆い、この辺に問題があって「クメールには美人がいない」と言った。確かに、鼻周辺から口にかけての感じは、日本人と異なる。

 

よく観察すると、両目の線が鼻と交差する点の鼻筋が低い、鼻の先端の高さはあまり変わらないから、鼻の末端がやや上向きになり、正面から鼻の穴が良く見える。小鼻が大きく両側に張っている。日本流に言えば、鼻がアグラをかいた状態である。従ってやや大きめな鼻の穴が、正面から見える。口は大きめで厚いタラコ唇である。ほほの発達が良く、ますます鼻が低く感じられる。頬骨が張っているわけではなさそうであるが、よく笑うから筋肉が発達するのであろうか。

鼻の穴が正面から見えるのは、日本では鬼瓦や不動明王、鬼子母神の憤怒の形相に近い。日本人の美人意識からは、かなり遠い。

 

この様な相は、馴染みが無いだけであって、特に不美人であると言う証拠にはならない。以前にアフリカで調査を始めた頃には、アフリカ人の年齢も特徴もつかめず、なかなか個人が見分けられなかった。しかし馴染んでくるとそれぞれの個性も分かり、特徴も理解できる。同じ様なことは、ニホンザルやチンパンジーの観察でも経験しており、最初は個体の識別はなかなか難しい。しかし、馴染んでくると見間違えることも無く、声だけ聞いても後姿だけでも、誰(だいたい名前を付けている)か識別ができる。見慣れてくるとサルでも結構美人(チンパンジーのアイの先生である京都大学霊長類研究所の松沢さんは、チンパン人だと言っている)もいれば、あまりそうでもないのもいる。

 

カンボジア人に慣れるのには、相当に時間を要したが、最近では、結構美人もいると思っている。確かに化粧が上手になったこともあるが、日本の若い人よりも、表情が豊かで明るい。知識には誤りが多いかもしれないが、人格的には歪んでいない人が多い。にこやかな笑顔、屈託の無い笑いは、現在の日本では見かけることが少なくなった。普段の表情も生き生きとしており、いかにも生きが良い。日本の朝夕の通勤電車で見かける疲れきった表情の人々に比べると、遥かに親しみやすい。特に自分自身が年齢を重ね、顔やスタイルの美酷よりも、人格のほうが遥かに重要であると感じるようになって見ると、カンボジアには性格美人が多い。振り返って日本を見ると、人格がかなり歪んで来ていることが心配になる。

 

美人観点とは異なるが、カンボジアの女性は、ガニマタ(蟹股)で歩く人が多い。観察していると、歩行の線を直線にしようと言うような意識は、働いていないと思われる。日本人の内股で歩く様な美意識はなさそうだ。若い女性でもだいたい足が、45度ぐらい前方に出る。左右では90度くらい違うから、なかなか直線には歩けない。腰が大きく、太短い体系は、安産多産形を示しており、少子化の深刻などこかの国は、見習いたいものである。後方から見ると、ヒザ関節も太くしっかりしており、立ち座りの運動量が多いことを示している。当然骨盤にも影響しており、出産での負荷が少ない。家畜でも運動不足は、難産が多く、動物である人間も、同じことが想定される。

 

社会体制や子育て環境は、少子化問題の枝葉末節である。基本問題は人生に対する意欲や気力の問題である。日本では、子どもの育ちが悪く、意欲や気力・集中力が育っていない。運動量も少なく、体形も弱い。遺伝的には同じものを持っているが(一万年二万年の単位では、遺伝子の情報は変わらない)、育つ過程で親が干渉しすぎるので発達しない。未発達のままの世代が、親の世代になってきている。生きることに意欲が無ければ、子育ては非常な負担に感じる。この点を改善しないと、基本問題の解決にはならない。学力の問題も同じ問題に根ざしている。学習は楽なことでは無く、好奇心と意欲と気力が無ければ苦痛でしかない。教育再生会議などの議論を散見しても、根本問題からずれている感がする。カンボジアは、途上国と言われ、援助を必要としている。しかし、滞在して見ていると先進国の、負の部分が浮き彫りになって来る。先進国も進んでいるようであるが、人間としてはほとんど差が無いか退化して歪んで来ている。効率と楽な生活を選択してきた結果、歪みが増大していることは明らかである。  

カンボジア事情(9)走ることで支える国際協力

 

NPO Hearts of Gold

(特活) ハート・オブ・ゴールド

所長: 山口 拓

 

1998年より正式な活動を開始。2001年よりマラソン事業以外の「スポーツを通じた国際協力」活動を開始。

 

日本語教室、孤児支援事業、青少年育成事業、東ティモール支援事業なども行っている。

(写真:小学校の保健体育科指導要領ワークショップのオープニング)

 

 

カンボジアが誇る世界遺産:アンコールワット

おかげさまで「アンコールワット国際ハーフマラソン」は、2000名を超える参加者が「自己の記録」や「健康維持・増進」などを目的に参加できる大会にまで発展しています。

しかし、1996年に第一歩を踏み出した当時のカンボジアは、政権の変動、アジア経済危機などにより、外国からの援助や投資、観光収入が減少し、経済の悪化が顕著となるなど、至極、不安定な状態でした。1997年の第2回大会では、プノンペンでFUNCINPEC党と人民党の軍隊が衝突したこともあり、大会開催どころか、参加者の渡航すらままならず、2年目にして早くも中断かと危ぶまれた時期もありました。

こうした不安定な時期に開催された この国際チャリティーマラソンには、いくつかの目的が込められていたのです。

 

    ひとつめは、平和な国家を取り戻したカンボジアを世界にアピールするというもの。

    ふたつめは、平和をアピールすることで世界遺産への観光に新たな潮流を吹き込もうとする試み。

    そして、みっつめは、誰にでもできる国際協力として、大会に参加することを、そのまま国際協力に結びつけるという画期的な挑戦でした。

 

今年(2007年)の122日に開かれる第12回大会までの間、全ての目的は、これまで参加いただいた全てのランナーによって達成され、次第にその規模を拡大させています。

 

変貌し続けるカンボジア経済と健康意識

1 アンコールワット国際ハーフマラソンが開催された当初、カンボジアでは、「平和な生活の獲得」や「貧困からの脱出」など、健康意識というよりも生きることに重点を置いた生活が営まれていました。大会共同プロデューサー(特活 ハート・オブ・ゴールド)有森裕子 代表は、「当時は、わざわざ遠い国から来て、なぜ暑い中を走るのかと訝しがられた」と話しています。

しかし、回を重ねるごとに時代が変わり、今では、カンボジア人の多くが以前よりも住みやすい環境へと変容を遂げています。そうした環境から今日では、健康的な生活を営む意識が芽生えはじめ、都市部を中心に多くの人が、ランニング、羽蹴り、バドミントン、そして、エアロビクスなどをするようになりました。

ただ残念なことに、カンボジアでは、未だ「体の教育=体育」という視点で他国と大きな差があるといえます。

 

新しい潮流

カンボジアでは、これまで保健体育の学習指導要領を持ちえませんでした。したがって、学校や校長などに一存され、「自由時間的な扱いの域を超えない授業」か、「申し訳程度の授業」しか行われてこなかったのです。教育省も、保健体育科の学習指導要領の改定作業を望んでいましたが、援助の手が届かず、長い間、計画だけに留まっていました。

しかし、ついに教育省は、JICA草の根技術協力事業によって、ハート・オブ・ゴールド(筑波大学や岡山県を含む)の支援を受け、他教科に引けを取らない「小学校 保健体育科 指導要領」を完成させました。

この指導書の完成が今後の体育科教育の起爆剤になることは、間違いありません。カンボジアの地で新たに生み出される保健体育は、彼/女らの心と体の健康を導くのみならず、青少年の育成や疾病予防に役立つことでしょう。

【スポーツを通じた国際協力】。あまり聞きなれない言葉ですが、あなたも走ることから始めてみませんか?

 

カンボジアの奇人・変人・日本人(9)

 

海外武勇伝?(バングラデシュとカンボジア)  

北村哲郎(JICA SV)カンボジアン空手道連盟コーチ

 

バングラから帰国してわずか6ヶ月後に私はプノンペン国際空港に立っていました。やった~~~大好きな東南アジア。バングラで指導していたころは空港に着くたびに胃が痛くなっていましたが、ここでは最高の気持ち!!空港から市内に向かう車の中で同期は「街が汚い」「運転が荒い」とか、いろいろ言っていましたが私には全てが魅力的に映りました。街には普通に男女が存在し、ホテルの部屋の掃除には女性がやって来る。お酒も店で売っているし、日本では当たり前のことがバングラでは当たり前でなかったので、この自分にとって普通の状況が何よりも嬉しい。しかし異国には変わりない。言っている言葉がほとんど理解できない。しかし、それが私にとって逆に魅力でした。

カンボジアの空手道連盟に挨拶に行ってからカンボジアの休みが続き、時々連盟の人に呼ばれて打ち合わせ(飲み会)は数回あったが肝心の練習は1ヶ月過ぎても始まらない。ようやく最初の練習が始まったのはカンボジアに来てすでに1ヵ月半過ぎていた。「3月から新しいナショナルチームをセレクションするので来年の3月までは週3回の午後練習だけです」と、連盟事務局長が私に言った。暇が多いのはよさそうで実は働き蜂の日本人には苦痛です。

 私も時間の過ごし方に頭を悩まし、土曜日午後は日本人の子供と親に空手指導。他の日は和太鼓(週2回)、日本人補習校の代理教員(土曜午前)、そして毎朝630分から8時まで英語学校、カンボジア語週2回と3月まではいろいろ挑戦しました。シェムリアップにも数回出張指導に行きました。茨城県空手連盟の先生方がここで孤児院に空手クラブを作られて、そのオープニングセレモニーと指導のお手伝いに行ってきました。初めて見るアンコールワットに感動すると同時に日本の先生方の本当の意味でのボランティア活動にも感銘を受けました。100人ほどの孤児が2時間の練習中一度も休まずサボりもせず、嬉しそうに楽しそうに空手をやっている姿は感動を覚えました。もう日本ではこういう子供の純粋な姿は見ることが出来ないのだろうか・・・。この孤児院の子供たちの方が何倍も幸せそうに見えました。

実はカンボジアン空手道連盟は私が赴任する数ヶ月前からあることをきっかけに内部分裂していて、カウンターパート(事務局長)と会長が特に仲たがいしており、そのため連盟の役員や会員も二つに分裂しており両方から指導して欲しいと言われ、まとめるのに大変な状況です。赴任中に以前のように1つになって欲しいといろいろ作戦は練っているのですが・・・・。

その中でもなんとか3月に12月にタイで開催されるSEA GAMES(東南アジア大会)に向けてのナショナルチームのセレクションがあり、なんとか12人の選手を選び、朝・夕の強化練習を週5日で開始することになりました。(本当はまだ良い選手がいたのですが、ナショナルチームに選ばれるより仕事をしていた方が稼げるという理由で辞退する選手や内部分裂のあおりでセレクションに出られない選手が続出) 朝練習は何時からか連盟のコーチに聞くと「朝5時から」と言うではないですか、そんな早く始めて誰も来ないのじゃないかと思いましたが、ちゃんと全員来ています。

 驚いた~!!カンボジア人は早起きなんですね~!!私も普段は4時には起きているので問題なく、朝の時間を有意義に過ごしています。ただ一日が長すぎますが・・。強化練習が始まって1ヶ月ほど経ったころに、あまりにもだらだらしているので私が切れて怒ったら、カンボジアのコーチは、「カンボジアの選手はタイ人ほどものを食べてないので、スタミナがありません。タイ人が3000Kcal食べているとしたらカンボジア人は1000Kcalです。だからあまりきつい練習をしないで下さい。」と、充分に太った身体のコーチが私に訴えました。私も負けずに「カンボジア人が1000Kcalなら前に私が居たバングラデシュのベンガル人は500Kcalだ。それでも、ちゃんと私の練習に文句1つ言わないでついてきたぞ。断食中でも練習してたのだぞ。」と、言い返しましたが、とにかくSEA GAMESでメダルはいらないから優しくしてやってくれといわれ、「分かった、メダル欲しくないのなら今日から優しい練習だけにする。」と言って5分の1ほどの練習に切り替え、時間も半分以下にしたら、いつも一番サボる選手が「先生、今日はこれで終わりなのか?もっと練習したい」と、自主的に練習を始めるではないですか。それを見ていた他の選手達もなんと率先して練習を始めました。

 だったら何で今まで練習を嫌がっていたのだ?ようわからん・・。また、先日アジア空手大会のビデオを試合練習の参考のために選手に見せたところ、国際大会で実際に審判をしている私をビデオの映像から見つけ、「先生は本当に国際審判なんだ!!すご~い!!」とコーチも選手達も歓声を上げ(私が国際審判資格を持っているのは赴任時からみんなが知っていたにも関らず)その日から私に対する態度が豹変してしまいました。態度が悪く挨拶さえしなかったある選手も気持ち悪いくらいに挨拶をちゃんとします。(こんなことならもっと早くビデオを見せておけばよかったな~というか、今までの私の指導はなんだったのだろう?)お蔭様で任期が半年を過ぎた今では、毎日気持ちよく指導ができるようになりました。この国の人はなんでも実際に目にしないと信じないのですかね? バングラでも同じだったかも・・。

信じないと言うか、信じられないのは、4月から私の人生にとって今まで経験したことのない出来事がいくつかありました。日本人補習校の校長になったこと(日本で教頭さえやったことがないのに)、日本人会の役員になったこと(決まった時にはまだ会員ではなかった)、フランス人、アメリカ人、韓国人に空手を教えることになったこと(美女多数)、バサックの会で家庭環境に恵まれないカンボジアの子供達とたくさん知り合ったことなどです。なぜかこのカンボジアに来て私の人生が急激に変化しました。バングラにいた時はいつも帰国したいとばかり思っていましたが、カンボジアに来てからはまったく帰国したいと思いません。なんでもやる気が出てきます。もしかしたら私の身体にはクメールの血が混じっているのかもしれません()。それくらい居心地がいいです。

この国であと1年と3ヶ月活動します。8月にマレーシアで国際審判の試験があり、私のカウンターパートが3回目の挑戦!!12月にはナショナルチームがSEA GAMESでメダルが取れるか!!どちらも達成するとカンボジアの空手の歴史上初めてのことになります。どんな試練、どんな感動を与えてくれるのか?その時にいろいろな思い出話がたくさん書けるようにこれからもいろいろ挑戦していきたいと思います。まだ若干心と身体に余裕がありますので、どなたか何か新しい世界を紹介してくれませんか?(良い意味での奇人・変人・日本人でこれからも生きて生きたいですね~。)     ★各誌の詳細→<45号> <44号> <43号> <42号> <41号> <40号> <にほんじんかい一覧>