★カンボジア日本人会会報誌「にほんじんかい」第43号2007/12

<記事抜粋>

カンボジアの遊び方(2)

 「バサック空手道場」
みなさんもご一緒に空手で汗を流しませんか?

カンボジア、韓国、フランス…

空手に国境なし

「押忍、こんにちは!」。
 毎週土曜の午後に行なわれるバサックでの空手稽古はこの言葉で始まります。JICAシニアボランティアの北村先生のもとで現在十数名が稽古に励んでいます。 出席者の国籍は様々。日本人の子どもたちが大半ですが、彼らの保護者の方や地元カンボジアの方々、そして韓国、フランス、アメリカの方々も参加され、正に「空手に国境なし」です。

先生の号令も、「いち、に」 「ムォイ、ピー」 「ワン、ツゥー」 になったり、

さらに「アン、ドゥ」(まるでバレエのレッスンのよう)になったりします。


何も考えずひたすら無心に動ける瞬間

 稽古の最初は、ウォーミングアップ。時にはリズム体操みたいなことをやったり、紐を使って跳んだり跳ねたりや腕立て伏せ、背筋、腹筋したり等、普段、歩く機会さえ少ない運動不足の体には少々堪えるエクササイズですが、それでも体を動かしていくうちに汗がどっと流れ、心地よい爽快感に変わってきます。
 ウォーミングアップの後は、休憩を隔てて先生の気合の入った号令で突きや払い、蹴り等の基本的動作とそれらを組み合わせた「形」の稽古です。時には1分間ひたすら突き蹴りまくるというハードな稽古もありへとへとになってしまいますが、体が疲れてきた分、何も考えずひたすら無心に動ける瞬間を感じることができます。
 みなさんも土曜の午後、私たちと一緒に汗を流してすかっと爽やかな気分を味わいませんか?

文/JICA専門家 大内ありさ
 

カンボジア雑記(10)バッタンバンの米事情

 

バッタンバン農村地域振興開発計画
チーフアドバイザー
八木和彦


アフリカとフィリピンでの食生活を振り返って

 右の写真はY専門家と浮稲の成長比較である。Y専門家は数十年前に産声を上げ、稲は2007年4月頃に播種された。
 データを取った8月当時、実際に現場まで出向いた踏査は可能であったが、深水時など浮稲の茎は写真の2倍近くにも伸長しそれを実際に観察するとなると船を用意しなければならない。その深水時でも浮稲の葉は水面上にあって光合成を続ける。減水が始まる頃になると出穂し、水位が下がって地表面近くまで戻ると茎は横たわるものの12月頃に稲穂は立ち上がる。
 カンボジアの浮稲の悲劇は、「禁じられた稲」として清野氏の著作に紹介されている。一方、Y専門家はNHKプレミアムが見られないことを嘆いているが、家族とバッタンバンを謳歌している。

 カンボジア日本人会会報誌にアフリカが出てくる拙文で恐縮だが、初めての海外赴任で東アフリカのタンザニアに派遣された際は、お米の味や美味しい米の入手方法など若気の至りか若さの故か特段気にしなかった。が、それでも日本の古々米が手に入ったときは嬉しかったし、マラリアに罹患して 度の熱の中食べたお茶漬けや、日本に一時帰国して新米10kgをタンザニアに持ち帰って同僚隊員と「ゆかりフリカケご飯」を歓喜食したことは想い出深い。
 ケニヤでは、仕事とゴルフに熱中しすぎて車を強奪され、ご飯の味さえ覚えていない。その後6年間以上何気なく日本米を食べていた筑波での生活から変わって、赴任したフィリピン・ボホール島での食生活は貧相であった。それもあって、2年間ほぼ毎週末フェリーで片道1・5時間掛けてセブ島に渡ってはゴルフとジャポニカ米を楽しみ、挙句は当時セブ市に在住されていた千頭さん宅に押しかけては美食を堪能させていただいた。
 その後滞在したインドネシアでは、ジャポニカ米が栽培されていたし、ジャカルタに数軒ある日本食材専門店でカリフォルニア産のジャポニカ米も入手できた。おかずや炊飯方法にも依ろうが、インドネシアの食堂のインディカ米はフィリピン・ボホールとは違って美味しかった。ここカンボジア、プノンペンの自宅ではジャポニカ、仕事場のバッタンバンではインディカ米を食す生活パターンとなっている。
 タンザニアでは、主食はとうもろこしやキャッサバのウガリでご飯は小石混じりが日常茶飯事、栽培技術や米食味を専門とするわけでなく、更に言えば美食家からは縁遠い筆者の個人的な感想ではあるが、タンザニア、フィリピン、インドネシア、そしてカンボジアのインディカ米の中では、当地カンボジアのバッタンバン米が一番美味しいと思う。

炊き込みご飯風に綴るバッタンバンのお米事情

 同僚Y、O両専門家は、おかずは増量、ご飯消費量を制限してダイエットに励んでいるが、幸か不幸か栄養素摂取効率が悪い筆者は、昼食時にはご飯を中心に満腹を楽しむ。美味しいご飯だから食べるのか、元々美味しいお米なのか、どうして美味しいのか、携わっているBRANDプロジェクトやバッタンバン事情などを混ぜて、炊き込みご飯風にお米事情を綴りたい。
 A専門家から「ヴェトナム米は施肥によって多収量だが、稲による土壌からの窒素吸収も多く、米粒のタンパク質が増加して味が悪い」と興味深い話を伺った。
 フィリピン・ボホール島でもヴェトナム米が流通していたが、フィリピン人も酷評していたし、確かに不味かった。
 一方、ヴェトナム人がバッタンバンの農家の庭先まで来てバッタンバン米を買って行く現実となり、これを米のトコロテン現象と呼ぶ。稲には窒素肥料の多肥に向く稲と向かない稲があり、丈が短く葉が立っている稲が前者で、後者は丈が高く葉が広がっている。葉を広げずに立たせて稲全体の光合成を促進させ、穂をつける茎数を多くすれば収量は増える。
 ヴェトナムは多肥に向く多収量品種の稲栽培が盛んであり、バッタンバンでは多肥に向かない低収量稲の品種と考えていただければ分かりやすい。
 という事は、バッタンバンでは農家に施肥を勧めても収穫量が激増するなどと言うことはなく、寧ろ食味が落ちてしまうことも危惧され(不味ければヴェトナムのように栽培農家も食さない)、結論は適正施肥量の把握しかない。栽培学的に適正量は同定されたとしても、社会農家経営学的、食品工学的にとなるとこれが難しい。大規模農家は現有資金を活用できようが、一般農家は種籾さえ精米業者から借りるほどで、肥料を買う現金に乏しいのが現実だ。炊飯方法にも個人の体調によっても味覚は変わるであろう。
 バッタンバンのプロジェクト対象コミューンの平均的な米栽培農家を紹介する。籾米の平均収量は1ha当たり2トンで、計算を単純にするために農地所有面積を一家族(4人家族)当たり1haとする。一人当たり精米の消費量を約220kg/年(カンボジア国農林水産省ホームページによる。本当とすれば世界一である。が、疑問が残るのも実感である。因みに日本人は1950年代の約120kgから減少を続け、今では60kg前後)とすれば一家で880kg。労賃や投入経費を除き、農家庭先籾米価格が現時点で約730リエル/kg(プノンペン市内のマーケットでは精米2000リエル/kg)であるから、稲作からの農家収入は約110ドルとなる。これでは生活できないので、スイカ、キャベツ、野菜などの作物に挑戦したり、漁をしたり、出稼ぎに出ることになる。

品種の統一性と雑草の問題

 日本と東南アジア諸国の稲作で眼に映る一番の違いは品種の統一性と雑草ではないかと思う。日本では雑草は殆ど見られず、同じ品種故に背丈も揃い、盛緑や黄金色の稲穂田に心を奪われることすらある。
 一方、フィリピンでもカンボジアでも背丈がまちまちで雑草も気になる。自家消費だけであれば問題はなかろうが、販売を考えれば品種を揃えるということは重要で、混種米は当然売値が下がる(3割程度)。それなりの種籾を購入すれば混種の問題は随分減少するが、その余裕の無い農家は自家採種となる。時間は掛かるかも知れないが、背丈の違う稲穂を収穫時に選別するしか他に方法はない。
 プロジェクトではその選別と共に、播種前に塩水撰を施して、良質の種籾を使うよう指導している。それらによって、自家採種米の品種統一と、120〜150kg/haの直播時の播種量を60〜80kgに抑え栽培初期費用の軽減を図っている。
 雑草はどうするか? カンボジアでは暑い日中(だけでなく?)昼寝をする習慣がある。あんな暑い時に農作業をすれば誰でも数日中に病気になることを経験的に理解しているからであろう。プロジェクトで試しに除草人夫を雇ったら1ha処理するのに200ドル掛かった。見てくれは悪かろうが、除草は当面諦めるべきであろうという単純で明確な結論に達している。

普通米をブランド米として市場に出すことができれば

 近年、各種NGOなどの尽力もあって有機米がマーケットに並ぶようになった。有機米の需要がどれほどあるのか把握していないが、タイ産の有機米が奇麗にパッキングされて当地でも販売されている。右の写真はPhkar Ramdoulという品種の香米で、シールには”Khmer Organic Rice Certified by Department of Agriculture of Siem Reap Province”とある。残念ながら、何故有機米と呼称できるのか、どのような認証がなされているのか、その詳細は記載されていない。

 バッタンバン米は既に述べたように施肥量も微量であるが、有機米とは考えられていない。 以前、州内の精米業者がそれぞれ独自の米袋を利用してバッタンバン米として市場に出したが、肝心な袋の中身の米を生産する農家や政府当局等との連携も無く、そのまま廃れていったことがあった。中身の勝負ではなく、見てくれ勝負に拘ったようだ。そこでプロジェクトで検討しているのは、バッタンバン米(普通米)の美味しさを試験検討の上、州農業局が保証してパッケージに表示し、既存の市場に流通させることができないかということである。

 近隣諸国での旺盛な需要も視野に入れ、(有機米ではなく)普通米をブランド米として市場に出すことが出来れば、バッタンバン州内の米栽培農家にとっても流通業者にとっても好ましい。
 その為には、カンボジアの人々がどのようなお米を美味しいと感じるのか、粘りを好む日本人とは違った食味感があると思われ、それをプロジェクトで分析し、一般消費者にバッタンバン米の美味しさの秘密を広く知ってもらう必要があろう。
 勿論、小石が混じることは最低限避けねばならないし、砕米や異品種の混入程度、色などの外観上の特徴の整理も必要である。精米業者や中間業者など関係機関の連携を強化することも、品質維持管理の面からブランド米の成否の鍵を握るだけではなく、今後の農産物流通システム改善の観点からも重要な試金石になると思われる。
 子供の頃、パッカ〜ン(と筆者は呼んでいるが、圧力を掛けて米を膨らませ、砂糖をまぶした米菓)おじさんがリヤカーに機械一式を積んで市内を廻り、お米と砂糖と加工賃を払うと、目の前でその米菓を作ってくれた。他にも利用加工方法はあろうが、このように砕米や雑米を利用して菓子や軽食などに加工し、付加価値をつけて販売することも魅力を感じる。 既に提供している農家に対する稲の品質と収量向上支援と併せ、このような活動を具現化することによって、バッタンバンの農家が栽培する良質米に対する需要が増加し、上手く対応できるようになれば、BRANDプロジェクトが目指す農家ニーズに基づいた普及サービス支援の一つの形態が、栽培・加工技術や市場に至るまでの一貫した過程で示されるのではないかと考えている。
 

主婦のおしゃべり広場(2)カンボジア流テーブルマナー?

小野朋子

日本からの友人をびっくりさせた私の行動

 日本は厳しい冬を迎えるころですが、ここカンボジアは1年で1番過ごしやすい季節に突入ですね。衣替えというほど大げさな気候の変化はないでしょうが、タンスの奥に眠る長袖シャツをひっぱり出せるのがちょっと楽しみだったり。冷房や扇風機無しで過ごせるのもうれしいですよね。

 さてカンボジアに来てまだ半年の私。覚えたカンボジア語は挨拶と数字程度、道路の名前や位置も最近ようやくという、ひよっこです。のつもりでいましたが、先日、日本から遊びに来た友だちに驚かれたことがありました。
 あるカンボジア料理レストランに出かけたときのこと。オーダーを済ませ、彼女は初めてのカンボジア料理にわくわくしています。そしていよいよ、パパイヤのサラダやアモックなどが登場。さぁ食べましょう! とその前にスプーンやフォークをティッシュでふきふきしないといけませんよね。コップや皿も、ついでに友だちの分もふきふきふきふき。と、そこには、怪訝そうな彼女の視線が。
「お店の人に失礼じゃない?」

熱湯消毒ね!嬉しい気持ちでふきふき

 確かに日本のちょっと洒落たレストランでこれをやると、まずいですよね。ウェイターが慌てて
「すぐにお取り替えします」
と飛んできちゃいます。でも、ほこりや虫の多い土地ならではの風習でしょうか、カンボジアのローカルレストランではごくあたりまえのようです。
 
 店によっては、お湯に浸かったまま出てきたスプーンやフォークをさらにティッシュでふくところもあります。そんな時はいつも、熱湯消毒してくれているのねと、むしろうれしい気持ちでふきふきしていました(さすがに、使用したティッシュを床にポイッはやりませんが)。
 指摘され、最初は彼女と同じように、おもむろにコップなどをふく様子や床に散らばるティッシュに違和感があったのを思い出しました。

帰国前にはスイッチの切り替えを・・・逆走には要注意!

 いつの間にか浸透していたカンボジア流。慣れってこわいですね。半年でこうですから、
「やっぱり、ビールにはタランチュラ揚げね♪」
なんて日もそう遠くないのかもしれません。でも帰国の際は、一度、日本のスイッチに切り替えないと周りの人にギョッとされるかもしれません。食事のマナーならまだしも、車の運転をされる方などは特に注意が必要。間違っても逆走なんてしないように!

クマエクマウクマオイ(3)二輪車に見るカンボジア人のこだわり

カンボジアスズキモーター
渡辺理久男

経済成長に伴う所得増加の過程で
二輪車の販売の伸びが加速

 カンボジアに赴任して2年10ヶ月になりますが、近年のカンボジア経済の急成長、また、当社が生産している二輪車の販売の伸びも著しいものがあります。
 他の東南アジアの国々でも経済成長に伴う所得増加の過程で、二輪車の販売が一気に加速する段階がありましたが、カンボジアも現在、その段階を迎えています。一昔前は街中で走っている二輪車と言えば、日本や韓国から輸入した中古車がほとんどだったのが、最近ではピカピカの新車に乗ったユーザーの割合が増えていることを実感されている方も多いと思います。

 私はスズキ株式会社に入社後、日本国内、中南米、東南アジアと二輪車の販売に携わってきました。そこで、国によって二輪車のモデル、使われ方、ユーザーの要望に大きな違いがあることを体験してきましたが、ここカンボジアでも二輪車に対する独特の使われ方や要望がある事が徐々にわかってきました。

 特にカンボジア人はブランド志向が強く、たとえ日本製と同じような中国製モデルを半値以下の価格で売っていても目もくれず、ほとんどのカンボジア人は日本製を買ってくれます。国によっては、足として使うだけなら安い中国製でよいというところもありますが、カンボジア人にとって日本製二輪車は、品質や性能に圧倒的な信頼性があって、他の日本製品と同様に憧れの対象となっています。これは、我々日本人に対する信頼感にも結び付いているようです。
 また、カンボジア人は製品の品質に対してもシビアな目を持っており、特に二輪車の心臓部に当るエンジンの品質に対してはとても敏感です。例えば、エンジン音がおかしいとクレームしてくるユーザーがいますが、そのクレームされたエンジン音と正常なエンジン音を比べると、我々、日本人ではほとんど違いがわからない事があります。私もクレームのあったエンジン音を聞いて、どこが異常な音なのかよくわからないことがありましたが、当社の現地スタッフが聞くと、確かに音がおかしいと言うのです。普段は大音響で音楽をかけても平気な人たちが何故、こんなに微妙な音の違いにこだわるのだろうと不思議になります。
 これは私見ですが、クメール語は発音が多様で、日本人には聞き取りにくい言語の一つだと思いますが、どうもカンボジア人には、日本人にはない微妙な音の区別ができるような気がします。また、製品のデザインやカラーリングにも独特のこだわりがあり、事前によく調査しないと、いくら近隣国で人気があるモデルでもカンボジアでは全く受け入れられないことがあります。
 このように日本製二輪車を愛用し、いろいろと厳しい注文をつけてくれるカンボジアのお客様のためにも、さらによい製品、サービスを提供していきたいと思います。
 

カンボジア雑記(10)モンドルキリでの暮らし

三島道子
 
 今年5月にモンドルキリ州の地方電化と言う主人の仕事の随伴でまいりました。現場はプノンペンから約390km離れたベトナム国境に近いモンドルキリ州の州都センモノロム市という人口8千人程ののどかな高原の町です。
 この町とプノンペンを月に1〜2回往復しています。朝早くプノンペンを発ち、途中のコンポンチャムでカンボジア名物のクイッテオを食べて、カンボジア内で唯一のメコン川を跨ぐ「きずな橋」を渡り一路、スヌルに向かいます。舗装道路とはここでお別れです。これから先の130kmは、未舗装の大きな凸凹道に入ります。

 自転車で走るようなスピードの車の中、窓や天井に頭をぶつけながら眠っている主人の傍から車窓を眺めていると、焼畑をして開拓中の土地に枝木とシートだけのバラック小屋がポツリポツリと見えてきます。 
進む程に、僅かずつ住居の造りが良くなってきます。おそらく開拓に入ってからの期間の違いなのでしょう。小屋の周辺にはバナナ、パパイヤなどの苗木が植え込んでありました。これらのフルーツの木が実り豊かに成長して、裸足の子供たちが早く靴を履けるようにと、この街道を往復するたび祈っています。
 スヌルからセンモノロムへの道程で、中間点にあるのがカエウセイマと言うベトナム国境まで数キロメートルの町です。ここでいつもトイレ休憩と昼食を取るのですが、当初はとても苦痛に感じていました。ところが、今では料理をしているおばさん達とも顔見知りになり、片言のクメール語で簡単な会話を交わすようになりました。この様にして出来た出逢いも私の1つの宝物になっております。
 ここから先が道中の山場になります。車には毎回、寝袋、水、パン、カッパ、長靴などを積んであるのですが、出来ればそれらのお世話にならないようにと祈りながらカエウセイマを出発します。
 雨期の道路はこれはとても道とは思えない状態で、まるで台風で土砂災害にあった後の様な泥沼の中をタイヤにチェーンを履かせ進んでいくのですが、ハンドルを取られ車が斜めに傾くと、主人の掛け声と共に後部座席で左右に移動して車の重心を整えるのです。お尻を浮かせながら・・・。それで何とか、難所を通過できるとドライバーと3人で拍手をして喜びあうのです。
 こうやってたどり着いたのがセンモノロムです。名前の意味が「快適・美しい・愛しい」というだけあって、これまでの道中の苦労がうその様な広大な緑の風景が目にはいります。「まるでスイスのようだね~」と私が言うと主人が「行ったこと無いのによく言うよ!」と笑っておりました。主人は少し控えめに「蓼科」か「軽井沢」と言っています。それくらい、広々として気持ちが清清しくなるところです。
 この8月に篠原大使が起工式でお見えになった際に、大使が「フランスのある田舎の風景によく似ています」と仰られたほどです。

 さて、センモノロムの生活で私が1番気合を入れていくところが市場です。クメール語の単語帳を片手に「よし!」と気合を入れて買い物に出かけます。けれど、発音が悪いのか、なかなか店の人に通じなくて、結局、買い物を出来ずにあきらめて帰ることもしばしばありました。
 ある時「この野菜を500g下さい」と言ったら、周りに居た人たちが顔を見合わせて、わっは、わっはと笑い転げるのです。私がポカ〜ンとしていたら若い男の人が「500kgも本当に必要ですか?」と英語で私に聞いてくれました。それで私のクメール語で言った数字の単位が間違っているのに気が付き、照れながら一緒に大笑いいたしました。そんなこともあって、市場や地元の人達と親しく付きあえる関係になり、困っていると誰かしら助けてくれたりして、欲しい食材も買い物籠一杯に買って買えることが出来るようになりました。 

 ある時、市場の人が私に向かって「オックン」と手を合わせてくれました。近くにいたドライバーに理由を尋ねたところ、日本から電気を作りに来てくれたからとの事、感激するとともに、主人にハッパを掛けなくちゃと思いました。
 これから約1年間、主人達の仕事が無事終えて、町の皆が明るい電気を灯せるように祈りながら、ここセンモノロムでの生活を楽しみたいと思っております。
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