44号

 
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★カンボジア日本人会会報誌「にほんじんかい」第44号2008/03

<記事抜粋>

ニーム(スダウ)で農村開発支援活動

NPO法人 日本ニーム協会 

カンボジア支部 岩本 彪

 

  森の国カンボジアでは英名neem =ニームをスダウ=sdou とよび、古来から解熱作用がある若葉を食材にし、幹の樹皮を煎じて熱冷ましに用いていました。今日でも、この樹の蕾の時期一月から三月頃の高温期に、身体の火照りを鎮める効果があるとして、花と若葉をサラダやスープの具にしています。

 インドの人々は昔からニームの樹に尊敬の念を抱いておりました。何世紀もの間、庶民はニームの小枝で歯を磨き、ニームの葉の液を塗って皮膚病を癒し、強壮剤としてニーム茶を飲用し、防腐剤の代わりにニームの葉をベッドや本、穀物箱、食器棚やタンスに入れていました。

  インドの民衆にとってニームは驚異的な力を持つ樹であり、現在に至って、世界の企業や科学者たちはおよそ三十年にわたる研究の結果、この本性のわからない樹が、貧困国にも富裕国にも多大な利益をもたらすのではないかと、多くの学問分野で期待されるようになっています。極めて慎重な研究者たちの間からも、ニームは驚異的な植物であるという意見が現れ始めています。

  とりわけニームは、環境に優しい方法で作物を保護するようになる、新世代のソフト農薬の先駆けとなる可能性があることに注目されています。(ニームとは何か?から抜粋)

人と地球を救う樹と注目されているこのニームを、カンボジアの人々が自立するために活用することを願って、私たちは二00六年からNGOとして、啓蒙・促進活動を行っています。

  首都プノンペンから約七〇㎞のカンダル州クサチュカンダル郡シトー・コミューン近在の樹木から採取した種子を約五百本育苗し、トウルバサン中学校長の協力で、近在の小学校や農家に提供しました。

  首都プノンペンでは今年、キエンスバイ地区に育苗供給場を設け、国道一号線の拡幅整備によって移転する、約三百五十戸の人々が暮らし始めた移住地に、木陰を提供する予定です。

 また、シェムリアプにはコンレンコミューンに約一㌶の農地を育苗・苗木供給センターとして整備しました。  カンボジアには森の日が制定されていますが、昨年六月アンコールワットの眼下に暮らす地域の十七の学校と近在の農家に、苗木を提供しました。

  私たちが取り組んでいるニームは、日本では同じ仲間の樹木で栴檀があります。

  栴檀は長い進化と土壌風土に適応してきましたが、ニームと同じ効用はありません。

  また、ニームは摂氏二十三度以下では成長出来ず、葉を落として枯れてしまいます。

日本の気候では、露地の生育ができません

  私たちは森の国カンボジアが、緑豊かな美しい国になる日を夢見ています。

 

カンボジアの奇人・変人・日本人(11)

「プノンペンのバレンタインデー模様」

写真・文/平松加代

20代に入るまで、父にしかチョコレートを贈ったことがなく、人事に思えてならなかったこの行事。しかし今では、夫にせめてこの日ぐらいは感謝の意を表そうと思うようになり、今年は欧米人が経営していると思われるプノンペンに在るお店でチョコレートを買ってみようと考えました。

 「もしかしたら当日は混んでいるかも」と思い、念のために前日にお店に行ってみると、いやはや可愛らしい学生服を着たカンボジア人の女子高生と思われる67名がきゃぴきゃぴと店内で大騒ぎしているではありませんか。「ここは日本だったかな???」と思いながら、私は彼女たちに体当たりしながらも、ショーケースの前に立ちはだかり、普段見慣れない美味しそうなチョコレートの中から、なんとか買いたいものを選び出しました。店員さんにラッピングをしてもらい、支払いを済ませ、お店の外に出ると、そこにはジーパンにこじゃれた柄のシャツを身にまとい、ジャニーズ系の髪型をしたカンボジア人の男の子3名がお店の入口付近に座っていました。

 彼らは、その女子高生たちを待っている様子。どういったシチュエーションなのか…。女子高生たちがその男の子たちにチョコレートを贈るのか、それとも男の子たちが女子高生に好きなチョコレートを選ばせてあげているのか…。そもそも、カンボジア風バレンタインデーは男性が好きな女性にバラの花を贈るケースが多いと聞いていましたし、昨年もその様子を見た覚えがありました。もしや、日本風のバレンタインの風習がここカンボジアにも入ってきているのだろうか、それともこれはバレンタインとは全く関係のない出来事なのだろうかなど、いろいろと勝手なことを連想しながら、そのお店をあとにしました。

バレンタインで盛り上がるプノンペンの若者たち

 その翌日、つまりバレンタインデー当日の昼間には、若いカップルらしき二人がバイクを走らせ、後部座席に乗っている女性はバラの花束を持っている様子があちらこちらに。やはりカンボジアのバレンタインデーの贈り物は、バラの花束が主流なのだと実感すると同時に、「おいおい、休日でもないのに、昼間からどういうこった!」と思わざるをえない光景を目の辺りにしました。

大通り沿いには、花屋のブースが売り上げを競うかのように横並びしており、その様子はまるで日本の大学祭。20代前半と思われる男女が数人ずつグループを組み、パラソルの下で水をはった入れ物に赤やピンク、黄色や白などの多数のバラと、それに葉物などを添えて綺麗にラッピングをした花束を陳列させて、お客さんを待ちわびている様子でした。

ブースによっては、大きなハートの看板をぶら下げるなど、本格的な店構え。「よし、これに参加しない手はあるまい」と、本来男性が女性にバラの花を買うところを、私は自らブースでそれを買うことにしました。

まずは、ラッピングされた花束の値段を聞いてみて、びっくり。5から7ドル位というお値段。確かに、昨年もバレンタインデーの日にはバラ1本1ドルで売っていたけれど、今年は少々ゴージャスな花束で高値なものが多く出回りだしたとは。そこで、私はそれより安めの値段を指定して、オリジナル花束を作ってもらうことにしました。バラの色、ラッピングの紙、リボンの色まで全て選ばせてもらい、注文後かれこれ20分位経ってやっと出来上がりました。その間、さりげなく店員に少しばかり質問してみたところ、そこのブースの店員は皆学生で、「私、今日は学校へ行かないの…」と苦笑いをしていました。彼らは今年初めて出展し、出展は当日限りとのこと。材料は市場で購入してきているとか。ふむふむ。とりあえず、少々問題はありそうなものの、気になることは聞けたし、かわいい花束も購入できたので、万事良しとしよう。この学生さんたちは「オークン」と笑顔で見送ってくれました。

その夜も街はバレンタインデー一色。そのためか、道路は通常に増して大混雑。そもそも、カンボジアでバレンタインデーが普及し始めたのは数年前からのようですが、年々若者たちを中心に広まり、スタイルが多様化している模様で、この夜もバラの花束だけではなく、男性が女性にぬいぐるみを買っている姿も多く見られました。無事に家に着くと、街の異様な空間から脱出したためか、ほっと一安心。うっかり夫への贈り物を渡しそびれるところでした…。

 

「カンボジアの孤軍奮闘記・・・・540日の汗・涙・笑いの戦い」

森下秀樹

愛知県で自動車関連会社を経営。日本の業績は順調で毎年それなりに利益が上がっている。そこで仕事を通して恵まれない国の人々とその地で働くボランテアをしている方々を支援できないかと考えていた。バングラデッシュ、ネパール、カンボジアが頭に浮かんだ。まずバングラデッシュに関する情報を集める。悲観的な情報が多く、集まれば集まるほど気が重くなる。しかし、カンボジアには良い印象をもっていた。

1992年にイスラエルを旅行した時、添乗員に世界で最も印象深く良い国はどこかを訪ねた時、「ハワイ。いや、カンボジアも良いかな」とも言った。どうしてかを問うと「カンボジアの人が良い」。

この言葉が頭から離れなかった。そこで2006年7月に初めてカンボジアを訪れた。

貧困、地雷、エイズ、人身売買など大きな問題を抱えたこの国に大きな衝撃を受けた。

物乞いをする人、地雷で足を失った人・・・・。悲愴(ひそう)感を覚えた。しかし、人々の瞳の美しさと何かを学びたいという態度に感動し涙が止まらなかった。イスラエルでの添乗員さんの言葉は本当で、何とか意味のある支援ができないものかと考えた。

この地でボランテアとして働く人々の中には現地での仕事がないため出稼ぎに日本に帰らなければならない。その人々を支えることが支援になるとも考える。

2006年8月再度カンボジア、シェムリアップを訪れ、ビジネスライセンスを取得、日本語ガイドの勧めで伝統菓子ノムトムムーンを製造販売することに決める。お店作り、お菓子作りなど役割分担を決め、オープン目標を11月1日とし帰国する。みんなと別れるときもう二度とここには戻って来ないと心に決める。当初は経済的なバックアップだけをしようと思ったからである。

その後、日本に帰国したものの、カンボジアからの報告はかんばしくなかった。スタッフが一人抜け、二人抜け、ほとんど計画が進まない状況となった。息子を9月末カンボジアへ行かせたが、第一声は「お父さんカンボジアはだめだよ」と。あれほど意気込んでスタートしたものがどうしてという気持ちになった。

それで、時間を調整し、10月再びにカンボジアに入る。店の状態は8月末の状態とほとんど変わらず工事は進んでいなかった。

工事関係者を呼び、事情を聞くと10月中は絶対に無理という返事であった。そこで、労をねぎらい、オープンまでに外溝工事を含めすべて終わらせてくれるよう懇願し、期日までに終われば、少し報奨金を出すことを話す。すると、目の色を変え大変な勢いで仕事を始めるではないか。すごい勢いである。このときは大変驚いた。カンボジアでは棚一つ作るのに二週間かかると聞いていたからである。このようなこともあった。駐車場にパトカーが入ってきた。きちんとした制服を着た所長さんらしき人が車から降りてきた。お金でも取に着たのかと思って、おもむろに近づいてみると、携帯電話を取り出して大きな声でなにやら叫んでいた。それは「急げ、急げ」ということらしい。実はなんとその警察官は副業で土木作業を請け負う仕事をしていたのである。

おかげで、玄関前の駐車場も大変なスピードで出来上がる。タイル工事も電気工事も見る見るうちに出来上がってゆく。どの国民でもそうだが、明確な目標とそれに対する報いが示されるとき人間は普通以上の力を出す。これは真実であることを実感する。

お菓子も出来上がり、11月のはじめのオープンに間に合い帰国する。

ガイドさんは、「ハイシーズンなのでお客さんは沢山来られる」というので心配なく日本へ帰る。ところが、その後の現地からの報告ではお客さんが来ない、お菓子が売れないというものであった。

再びカンボジアへ入ると山ほどのお菓子がたまっていた。そこで、旅行会社はじめ、ホテルへ営業をかける。多くが好意的な反応である。しかし、それも販売にはなかなかつながらなかった。1月、ついに空港免税店との話がまとまり、シェムリアップ、プノンペンの免税店で販売が始まった。その数は半端なものではない。お菓子の在庫が一気になくなる。現在は販売が順調でお菓子の生産が間に合わない程である。現在、36名のスタッフが働いている。給与は時給制と出来高払いを採用し、やりがいのある職場を目指している。信頼なくして人は育たない。

金銭の取扱いをはじめ、お菓子作り等すべてをカンボジア人スタッフに任せるようにしている。信頼すると信頼を裏切ってはいけないという気持ちが働く。本当に金銭面でも驚くほどきちんとしている。スタッフは期待以上の働きをしてくれている。

私の幼少期日本ではよく盗みがあった。私自身もひもじいとき、よその畑のスイカやメロン、また、鶏舎から卵を盗んで食べた。登校し下駄箱の中のスリッパが盗まれてなくなると、他の人のスリッパを盗んで履いた。

人間はおかれた環境によってそれに応じた行動を取るのではないだろうか。今おかれているカンボジアの状況を考えると同情心と信頼が大切だと痛感する。

私がカンボジアとかかわりを持つようになってからまだ一年半。十分わからないことも多い。しかし、15年前にイスラエルのシナイ山で添乗員さんから聞いた言葉「カンボジアの人が良い」この言葉は真実に思える。

 

主婦のおしゃべり広場(3)

プノンペン、お買い物事情

かりのみちこ

 威張っているつもりはないけれど、私はクメール語が話せない。

市場で食料買い出しをする都合上、数字はクリアしたのだけど、後は、三年半たった今もまったく進歩なし。主婦業をこなしながらクメール語を覚えた皆さん、尊敬です。

 さて、そんな怠け者がプノンペンで暮らす。食料や生活用品調達はなんとかなっても、趣味の分野では、身振り手振り、お絵かきで乗り切るショッピング。

三分間、お付き合いください。

 ある日、ビーズでくるんで娘のアクセサリィでも作ろうかと、セントラルマーケットにジルコンを買いに行った。観光客に偽物を売りつけると悪評高いセントラルだけど、どうせジルコンだから、はじめから偽物。

ガラスケースに入っているキラキラを眺めながら、ダイヤでなら0・四カラットくらいのが十個くらいはいっているケースを出してもらうと、

「マダム、そのダイヤモンドはお得だよ」と、売り子さんが言う。

セントラルで、ダイヤぁ〜? またまたぁ、、と、思いつつ、

「ホント? いくらなの、これ?」「十個で五ドル」

「、、、、、、ダイヤモンド?」「チャー!!」

「ホンモノ?」「チャー!!」

この手の、ツメの甘い売り子さんが、私の好みである。

別の店で、琥珀を眺める。

おばちゃんが、「マダム、虫の入っているのもあるよ」

あらっ! 虫の入った琥珀は貴重だというではないのっ!

「ほらっ!」と、見せてくれたのは……、大きな琥珀のペンダントヘッドの中央に、虫……、ムシ……、蝿?

「これ、ホンモノぅ?」「チャー!!」「いくら?」「二十ドル」というやり取りの後、

「今度にしとく!」「マダム、まけとくよ! 五ドルならどう?」

一気に四分の一かいっ? 偽物だと白状しているようなものではないの。

彼女たちは、大嘘をつくのは苦手らしい。半端でまだまだ可愛いんだなぁ。

 

 何かを真剣に探すときは、目標物を、運転手さんに理解させるところから、すでに戦いは始まっている。今度はマダム、いったい何を欲しがっているのか? 

うちの運転手さんは、わりに勘がよろしい方だと思われる。さすが、夫より、長い時間をともに過ごしているだけあるというもの。ゴルフ場のキャディのお姉さんと夫とのチームワークもこんな感じなのであろう。

 さぁ、スーパーでも専門店でも、何処に行っても見つけられない! という時に頼りになるのは、実はロシアンマーケット。きっと、こまめに探したら、かなりのものが手に入るのではないかと、私は内心思っている。しかも、日本と比べると値段は格安。さらに、とっても融通がきく。セットもばらして一部だけ売ってくれるし、プロ用も何もすべて一緒くたに置かれている。問題は、探せるかどうか、、、いや、何が欲しいのか、伝えられるかどうか? 

運良く見つけた時は、次回にあるとは限らないと思うこと。多少、古びていても、新たに入るかどうかは、まったく不明。たな卸しなんていう単語はたぶん存在しない。

 

 シアヌークビルで食べた後の貝殻を磨きたくて、塩酸を探した。

貝の表面のカルシウムをパール質が見えるところまで根気よく溶かしていくと、キラキラ光るパール質だけの貝殻となる。観光地でも磨いた貝殻を売っているけれど、自分で古歯ブラシでもってチマチマ磨くのもけっこう面白い。

さて、塩酸。パスポートでも要るのではないかと恐る恐る聞いてみた薬屋にも、スーパーマーケットにもなし。パイプ掃除用のは、当たり前だけど、薄すぎてダメ。

それで、ロシアンマーケットに行った。

英語の単語をためしに言ってみると、acidという単語に反応したおばちゃんが一人。

さぁ、それからが面白かった。

伝令ゲームか、はたまたノロシでも上がったか……、奥へ奥へと手招きされ、指差しされ、たどり着いた店のお姉さんが、天井に一番近いところの棚の奥の奥から取り出したビール瓶、ラベル付き、オランダの……? でもビール瓶?? だいぶ、古そうだけど、大丈夫??

「マダム、そこらに垂らしてごらん」と、たぶん言われて、指差された床のコンクリートに漆喰が塗ってあるような場所にタラタラ垂らしてみると……。

おぉっ!……、白い煙が……。

確かに塩酸? もしかして、硫酸? でも、これはいったい、何%のなの??

ひとビンで、確か、クイティユ食べるくらいのお金しかかからなかった。

見つけて嬉しかったけど、いいのかしらねぇ。

 

 マダムたち、海外生活でストレスいっぱいにならないよう、お買い物でもして、楽しく暮らしましょう。え?……、かえって、ストレスたまるかも???

 

 
 
 

 

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